線路沿い風を切り 一直線に君へと向かうのさ 雨に濡れながら帰ろう
《雨に濡れながら帰ろう》
実にKing Gnuらしい歌詞だと私は感じています。
彼らの曲の歌詞ではいつだって、現実は残酷だし他の誰かになんてなれやしません。
後悔ばかりの人生で、誰だって取り返しのつかない過ちを抱えていて、雨なんか降って当たり前。
それでも、今の自分のままで、決して晴天とは言えない世の中を突き進むしかない。
雨に濡れながら《一直線に君へと向かうのさ》。
あくまで雨に降られながら、それでも泥臭く前に進んでいこうとするその姿は、いかにもKing Gnuの楽曲らしい展開です。
雨燦々と降り注ぎ 夏を弾いて反射した 僕らを映し出す
雨燦々と降り注ぎ 夏を泳いでずぶ濡れの 僕らを映し出す
《夏を弾いて反射した 僕らを映し出す》
《夏を泳いでずぶ濡れの 僕らを映し出す》
ここで真逆の状態にいる「僕ら」が登場します。
夏を反射している「僕ら」はずぶ濡れであるはずがないし、夏を泳いでいる「僕ら」はどちらかと言うと夏に溶け込んでいる状態で、夏を反射してはいないでしょう。
相反するこの二つの歌詞は、「雨は万人に等しく降る」のだということを謳っているのではないでしょうか。
今の自分を取り巻く季節や世の中を拒絶して反射している人にも、逆に真っ向から突っ込んでずぶ濡れになってしまった人にも、雨は等しく降り注いで《僕らを映し出す》。
この曲が今を生きるどんな人の人生にとっても主題歌であれるように、誰にでも雨は降って、その度に悲しみを洗い流してくれるのだと歌った美しい歌詞だと思います。
2番
烈しく照りつける太陽よ 僕らを導いておくれよ
未来を謳う言葉だけが 風となり森を吹き抜ける
1番の《過去を謳う悲しみ達が 雲となり雨を打ちつける》という歌詞との対比になっているのがこの部分の歌詞です。
過去を謳う悲しみは心に雨を降らせて悲しみを洗い流し、未来を謳う言葉が心に風を吹かせる。
そして照りつける太陽が僕らを導かんとする。
だから未来を謳おう、と彼らは歌います。
ラストサビ
選べよ 変わりゆく時代を 割り切れなくとも
この瞬間この舞台を 生き抜くから
青き春の瞬きから 何度醒めようとも紡ぐよ でこぼこな此の道に 降り注ぐ雨燦々と
悩ましく 生き惑う僕らの
悲しみさえも 水に流してゆく
《でこぼこな此の道に 降り注ぐ雨燦々と》
曲の途中まで雨が降っていて、最後に晴れてハッピーエンド、なんて明るい展開の曲も世の中には多くありますが、彼らは「いつかきっとまた晴れる」なんてことは最後まで歌ってくれやしません。
世の中は変わり続けるし、私たちはこれからも悲しみに直面し続ける。
青春は戻ってきたりはしないし、雨は多分これからも降る。
心はずっと曇天で雨模様。
それでも前に進めばいいと彼らは歌い続けます。
雨がきっと、悲しみさえも水に流してくれるから。
錆びついた自転車を走らせて 君へと向かうのさ 雨に濡れながら帰ろう
今の自分は《錆びついた自転車》。
昔みたいに純粋で無垢ではないし、当時のような無敵感はもうありません。
それでも錆びついた自転車を走らせて、《雨に濡れながら帰ろう》。
この曲はそう教えてくれます。
雨という一見するとネガティブな題材をテーマとしながら、爽やかに雨の中を突き進んでやろうと歌い上げたKing Gnuらしい応援ソング。
【King Gnu/雨燦々】
歌詞の意味の解釈でした!
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