サビ2
あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
正直者は馬鹿をみるが
きっと人生は素晴らしい下らない
なんて下らない
無駄な事だって言われても
いいんだ 下を見ないで
ひたすら登って行けたらいい
2番のサビも1番のサビ同様に、清水さんらしいまっすぐな言葉が綴られています。
正直者は馬鹿を見るし、「下らない、無駄なことだ」と言われてもいい。
そうした残酷な世の中を美しく薙ぎ払えるほどこの曲は強くはありません。
だけど、正直者が馬鹿を見ても、下らないことだと言われても、それでも「きっと人生は素晴らしい」と信じて自分に言い聞かせるように歌うのが今回の楽曲です。
《いいんだ 下を見ないで ひたすら登って行けたらいい》
少し余談ですが、今回の楽曲のサビがMr.Childrenの名曲「名もなき詩」のサビと似ていることが一部ファンの間で話題になっていました。
今回の楽曲のサビの歌い出しは《あるがままの姿で 自分のままで生きさせて》。
「名もなき詩」のサビの歌い出しは《あるがままの心で 生きようと願うから》。
「ベルベットの詩」というタイトル然り、「名もなき詩」にリスペクトを込めてオマージュしている可能性はあるかもしれませんね。
ラストサビ
あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
努力は実りづらいが
きっと人生は素晴らしい泥くさい
なんて泥くさい
だからこそ綺麗な綺麗な虹を
見つける権利がある
努力は実りづらいし、この人生はどうしようもないくらいに泥くさい。
でもだからこそ《綺麗な綺麗な虹を見つける権利がある》のだと彼らは前を向きます。
先述したように、「誰かをすくうために歌う」「誰かを幸せにするために歌う」今回の曲はそんな類の楽曲ではありません。
暗闇のような人生の中で、この人生は最低ではない、だから生きていてもいいのだと、自分自身が思える曲を。
自分自身が今生きるために必要な言葉を。
その極端なまでの実直さが、そうであるからこそ同じように苦悩の中を生きている人々の心を温め、潤しているのではないでしょうか。
音がさ 外れても
たとえ口塞がれても
僕は僕だと
自分の声で歌おう代わりはいないと
自分の声で歌おう
生きていれば自分の代わりなんかいくらでもいると思えることがいくらでもあるし、生きる意味を見失ってしまうことだって誰にでもあるでしょう。
きっと作詞時の清水さんもそうだったのだと思います。
そんな鬱屈とした心の声を、心が擦り切れてギシギシと軋む音をかき消すように、《代わりはいないと自分の声で》歌い上げた今回の楽曲。
「幸せになんてできなくてもいいから、少しでも追い風を吹かせられるものであることを願ってます」
彼は以前自身の楽曲についてそんなことを語っていました。
「誰かを幸せにする」なんて理想を語らず、どこ迄も人間臭く、実直に描き上げた彼の楽曲には、確かに人々の心に追い風を吹かせるだけのエネルギーが宿っていると思います。
【back number/ベルベットの詩】
歌詞の意味の解釈でした!
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