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【back number/ベルベットの詩】歌詞の意味を徹底解釈!清水依与吏の「今必要な言葉」とは。

【back number】「ベルベットの詩」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✓ 曲名「ベルベットの詩」の意味

✓ 清水さんの「今生きるために必要な言葉」

 

骨助
骨助

「青い春」「水平線」といった楽曲に続く、清水さんらしいまっすぐな言葉で綴られた応援ソング。その魅力をじっくり紐解いていきます。

 

 

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映画「アキラとあきら」主題歌

今回紹介していく「ベルベットの詩」は映画「アキラとあきら」主題歌として制作された楽曲です。

2022年8月26日に配信リリースされ、同日にはYouTubeにて公式MVもアップロードされています。

 

「アキラとあきら」は『下町ロケット』『半沢直樹』などで知られる作家・池井戸潤による小説を原作とした映画で、竹内涼真さんと横浜流星さんのダブル主演作品。

同じ“あきら”という名前を持つ2人の主人公が、対照的な宿命を背負いながら破産寸前の企業の再建を目指す物語となっています。

 

back numberの清水さんは楽曲について、

どの角度からも後押しできる力強さを持った作品なので、「音」の部分は早々に心が決まりましたが「言葉」の部分では盛大に苦戦しました。
書き込んで、歌い、直して、歌い、ぐしゃぐしゃに丸めて、また真っ白い紙に向き合う。
この作業を何度も何度も繰り返す事が、「アキラとあきら」の中で、苦悩や葛藤に晒されながら生きる登場人物の1人として「ベルベットの詩」を招き入れて頂く為にとても重要だったように思います。
傷も癒えないまま歩み続け剥き出しになった「中身」のような自分を、本能のままに叫ぶのではなく、美しいものだと願って歌う。
もしかしたら自分達にとっても、いま必要な楽曲として生まれて来てくれたのかもしれません。

とコメントされていました。

MVの概要欄には「僕自身が今生きるために必要な言葉を、大きな声で歌いました。」とも。

 

心に響く暖かい歌詞が注目を集めている今回の楽曲には、一体どんな思いが込められているのか。

この記事では清水さんの過去の発言などに注目しながらじっくり解説していきます。

 

骨助
骨助

歌詞の考察に移る前に、まずはタイトルについてチェックしておきます。

楽曲名「ベルベットの詩」とは

ベルベットとは、暖かさと肌触りの良さが特徴の起毛生地のこと。

「ビロード」とも呼ばれ、美しく高級感あふれる見た目が魅力的な生地です。

 

清水さんは楽曲についてのコメントの中で、「傷も癒えないまま歩み続け剥き出しになった『中身』のような自分を、本能のままに叫ぶのではなく、美しいものだと願って歌う」のだと語られていました。

 

今回の楽曲のタイトルにおける「ベルベット」は、剥き出しになった「中身」のような自分を包み込んでくれる美しいものの象徴としての意味合いがあるのではないでしょうか。

自分自身の人生を、ベルベットのように美しいものであると願って歌った楽曲。

だから「ベルベットの詩」なのだと個人的に予想しています。

 

骨助
骨助

タイトルについて確認したところでさっそく本題の歌詞を見ていきましょう。

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歌詞

心が擦り切れて
ギシギシと軋む音が
聞こえないように
大きな声で歌おう

理不尽が多すぎて
いつの間にかそれに慣れて
僕は自由だと
もう忘れてしまいそう

ああ うるさく つたなく
産声のように遠く響け

あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
決して楽ではないが
きっと人生は素晴らしい

青くさい
なんて青くさい
綺麗事だって言われても
いいんだ 夢見る空は
いつだって青一色でいい

恐れない 人はいない
追いかけて来る震えを
振り解くように
誰もが走っている

人がさ 繊細で
でもとても残酷だって事
僕もそうだと
実はもう知っている

ああ 嫌だ 悲しいね
痛みを抱き締めて進め

あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
正直者は馬鹿をみるが
きっと人生は素晴らしい

下らない
なんて下らない
無駄な事だって言われても
いいんだ 下を見ないで
ひたすら登って行けたらいい

心が擦り切れて
ギシギシと軋む音が
聞こえないように
大きな声で歌おう

あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
努力は実りづらいが
きっと人生は素晴らしい

泥くさい
なんて泥くさい
だからこそ綺麗な綺麗な虹を
見つける権利がある

音がさ 外れても
たとえ口塞がれても
僕は僕だと
自分の声で歌おう

代わりはいないと
自分の声で歌おう

 

作詞:清水依与吏

歌詞の意味・解釈

1番

心が擦り切れて
ギシギシと軋む音が
聞こえないように
大きな声で歌おう

「僕自身が今生きるために必要な言葉を、大きな声で歌いました。」

そんな清水さんが楽曲に寄せたコメントが、まさに今回の楽曲の位置づけを端的に表しているように思います。

 

清水さんのソングライティングの特徴の一つだと思うのですが、「ベルベットの詩」はこの曲で直接誰かを幸せにしてやろうとか、感動させてやろうとか、そんな類の曲ではありません。

《心が擦り切れてギシギシと軋む音が聞こえないように》

あくまで聞こえないように歌うのであって、別に心が擦り切れる音が消えるわけではありません。

 

清水さんらしいまっすぐでどこまでも正直な言葉で、無理に着飾ったり、仮初の希望を歌ったりするのではなく、清水さんが「僕自身が今生きるために必要な言葉を」綴った楽曲。

それが「ベルベットの詩」です。

 

理不尽が多すぎて
いつの間にかそれに慣れて
僕は自由だと
もう忘れてしまいそう

ああ うるさく つたなく
産声のように遠く響け

楽曲の背景にあるのは、昨今の世の中のどうしようもない生き辛さ。

ただでさえ閉塞的で生きにくい社会になりつつあったというのに、コロナウイルスの影響で自由に外にすら出られない、さらに孤独で息苦しい世の中になってしまいました。

学生の青春は制限だらけで、それに加えてニュースでは戦争や殺人の事ばかり。

理不尽が多すぎて心病む人もいるし、自分が自由であることも忘れてしまいそうにもなります。

 

《ああ うるさく つたなく 産声のように遠く響け》

そんな苦悩はきっと消えてくれやしないけれど、真実だけに目を向けていたらとても生きてなんかいられないから、「僕自身が今生きるために」彼らはこの曲を歌います。

汚れを知らず、ただひたすらに自由な赤子の産声のように。

 

サビ1

あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
決して楽ではないが
きっと人生は素晴らしい

青くさい
なんて青くさい
綺麗事だって言われても
いいんだ 夢見る空は
いつだって青一色でいい

《決して楽ではないが きっと人生は素晴らしい》

実にまっすぐな、清水さんらしい歌詞だと思います。

きっと人生は素晴らしい。

残酷な世の中で、そう信じることこそが、清水さんが今生きるために必要だったこと。

 

back numberの楽曲は時に女々しいと揶揄されることもあるし、実際に今回の楽曲も圧倒的なカリスマ性をもって「絶対に人生は素晴らしいんだ!」「青春は素晴らしい!」と雄弁するわけでもありません。

あくまで「きっと人生は素晴らしい」と信じたいという曲。

「夢見る空は青一色でいい」という願いを歌った曲。

世の中が全く自由ではないことを前提としたうえで、それでもせめてそう信じようと自分に言い聞かせるように歌っています。

 

しかしここまで喪失感や孤独に包まれた世界では、「世の中には希望が溢れている」というような力強い言葉や「音楽で希望を届けて見せる」という熱意はかえって空虚で虚しいものにすら思えてしまうことが私にはあります。

徹底的に虚飾を廃し、自分が生きるために言葉を綴った楽曲だからこそ、清水さんの詞は同じような境遇で生きる現代の人々の心に届くようなエネルギーがあるのかもしれません。

 

2番

恐れない 人はいない
追いかけて来る震えを
振り解くように
誰もが走っている

人がさ 繊細で
でもとても残酷だって事
僕もそうだと
実はもう知っている

ここでは、改めてこの楽曲とback numberのスタンスがはっきりと示されています。

 

《きっと人生は素晴らしい》とはサビで唄ってはいるものの、それはあくまで願いであり祈り。

本気で今の世の中が幸福で溢れていると歌う方がきっと嘘っぽく聞こえてしまうでしょう。

彼らだって、誰もが何かを振り払うように必死に生きていて、人間が繊細で残酷な生き物であることはよくわかっています。

 

ああ 嫌だ 悲しいね
痛みを抱き締めて進め

「傷も癒えないまま歩み続け剥き出しになった『中身』のような自分を、本能のままに叫ぶのではなく、美しいものだと願って歌う」という清水さんのコメントがありましたが、この部分の歌詞がまさに剥き出しになった「中身」のような自分であり、彼の本音なのだと思います。

《ああ 嫌だ 悲しいね》

人生は決して楽ではなくて、人は繊細で残酷です。

 

しかし、この曲が「辛いね」「悲しいね」で終わってはどうにも仕方がありません。

清水さんは以前「音楽なんて、聴いて、ちょっとでも前向きに思えるようなものじゃなかったら、なんにもないから」といったことを語られていました。

これが音楽であり、誰かに届けるものである以上、どれだけ人生が辛いものだと分かっていてもあくまで人生を肯定するものでなくてはなりません。

「『中身』のような自分を、本能のままに叫ぶのではなく、美しいものだと願って歌う。」

 

《痛みを抱き締めて進め》

そういった思いで、最後には前向きな言葉が綴られています。

 

ちょうど米津玄師さんが、全く同じようなことを以前インタビューで語っているところを私は目にしたことがあります。

「世の中は失望することばかりだけれど、最終的には生きていくことや生活することを肯定しなければならない。怒りや悲しみに身を任せてものを作ることは自分の役割ではないと感じた」と。

こうした楽曲に対する姿勢は現代のミュージシャンの共通のスタンスなのかもしれません。

 

骨助
骨助

2番のサビでも、醜い現実を踏まえつつこの曲は私たちに前を向かせようとしています。

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