【米津玄師】の「さよーならまたいつか!」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✓ 米津玄師が楽曲に込めた「キレ」
✓ 「100年先」の未来を唄う意味
✓ 普通の「応援ソング」にしなかった理由
ドラマの内容やインタビューでの米津さんの発言と合わせて、楽曲の制作背景や魅力を詳しく解説していきます。
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朝ドラ「虎に翼」主題歌
今回紹介していく「さよーならまたいつか!」は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」主題歌として制作された楽曲です。
2024年4月8日に楽曲の配信リリースがスタートしており、YouTubeではMVも公開されています。
MVでの米津さんの全力ピースは必見です。
ドラマ「虎に翼」は、日本初の女性弁護士でのちに裁判官となる猪爪寅子の人生を描いた、実話に基づいたリーガルエンタテインメント。
1900年代前半の日本を舞台に、伊藤沙莉さん演じる主人公・寅子が、女性として道なき道を切り開き、弱き人々を救う法律家を目指す物語となっています。
米津さんは楽曲について、
まさか夜中でばかり生きている自分が朝ドラの曲を作ることになるとは思いもしませんでした。寅子の生き様に思いを馳せ、男性である自分がどのようにこのお話に介入すべきか精査しつつ「毎朝聴けるものを」と意気込み作りました。よろしくお願いします。
とコメントされていました。
女性の社会進出が大きなテーマとなっているドラマ「虎に翼」に、男性である米津さんがどのように向き合っていったのか。
この記事ではインタビューでの米津さん発言を紹介しつつ、主に米津さんの言葉を元に、楽曲に込められた想いを解説していきます。
記事を書く上で参照させていただいたインタビュー記事はこちら。
米津玄師「さよーならまたいつか!」インタビュー|“キレ”のエネルギー宿した「虎に翼」主題歌
朝ドラの簡単なあらすじについても記事中で言及いたしますので、ドラマ未視聴の方でもお楽しみいただけます。
歌詞
どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった
見上げた先には燕が飛んでいた 気のない顔でもしもわたしに翼があれば 願う度に悲しみに暮れた
さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないでいつの間にか 花が落ちた 誰かがわたしに嘘をついた
土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった誰かと恋に落ちて また砕けて やがて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!しぐるるやしぐるる町へ歩み入る そこかしこで袖触れる
見上げた先には何も居なかった ああ居なかったしたり顔で 触らないで 背中を殴りつける的外れ
人が宣う地獄の先にこそ わたしは春を見る誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる
貫け狙い定め 蓋し虎へ どこまでもゆけ
100年先のあなたに会いたい 消え失せるなよ さよーならまたいつか!今恋に落ちて また砕けて 離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
今羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
さよーならまたいつか!作詞:米津玄師
歌詞の意味・解釈
1番
どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった
見上げた先には燕が飛んでいた 気のない顔で
朝ドラの主題歌として制作された「さよーならまたいつか!」。
朝ドラらしい軽やかさを感じさせつつも、どこかで朝ドラらしくない、米津玄師らしい湿度感を感じる楽曲となっているように感じます。
朝ドラ「虎に翼」の主人公・寅子は、日本初の女性弁護士として活躍した女性。
今でこそ職業を男女で分けること自体に違和感がありますが、作品の舞台は1900年代前半の日本です。
まだまだ男女平等とは程遠く、女性が社会進出すること自体が決して一般的ではなかった時代に、先陣を切って、新たな生き方を選ぶことには大変な苦労が伴いました。
《どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった》
社会と生き方のズレに疲弊しながら、青い幸せがどこから訪れるのかも知らないままで、大人になった主人公。
そんなヒロインに対して「ツバメみたいに君も飛べるよ!」と歌うのがきっと朝ドラらしい、爽やかでありがちな朝ドラ主題歌なのだと思うのですが、そうではなく、気の無い顔で飛んでいった燕をただ羨んで見送っているのが米津玄師らしさだと思います。
もしもわたしに翼があれば 願う度に悲しみに暮れた
さよなら100年先でまた会いましょう 心配しないでいつの間にか 花が落ちた 誰かがわたしに嘘をついた
土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった
良い意味で朝ドラらしくない、今回の楽曲の根底には、「キレ」という強烈なエネルギーがあるのだと米津さんはインタビューの中で語っています。詳しくは後述します。
先ほども触れたように、物語のベースには男女平等とは程遠かった時代に、女性がどう社会と関わっていくか、というフェミニズム的なトーンがありました。
《もしもわたしに翼があれば 願う度に悲しみに暮れた》
《いつの間にか 花が落ちた 誰かがわたしに嘘をついた》
女性は女学校を卒業したら、結婚して女性としての”幸せ”を掴むべき。
そんな性別に対する世の中の価値観や、社会制度という壁に阻まれ、なかなか思うようには物事が進んでいきません。
《土砂降りでも構わず飛んでいく その力が欲しかった》
そんな現状に対し、力強く立ち向かっていく主人公の心情に、この楽曲は主観的に寄り添っていきます。それが特に表れているのが、次のサビの歌詞です。
サビ1
誰かと恋に落ちて また砕けて やがて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く
瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
100年先も憶えてるかな 知らねえけれど さよーならまたいつか!
恋も勉学も仕事も、なかなかうまくいかないことばかり。
《口の中はたと血が滲んで 空に唾を吐く》
そんな状況に対し、ある意味で”はしたなく”、唾を吐き捨てているのが実にこの曲の朝ドラらしくなく、その一方で主人公の心情にダイレクトに結びついた部分だと思います。
爽やかな歌声ではない、強烈ながなり声も印象的です。
女性は結婚して、家庭に入って、家事と育児をするのが当たり前。女性が弁護士や裁判官になれるはずがない。そんな時代に獣道を掻き分け、先頭に立って道を切り開いてきた人たちの人生には、「知るか!」「私はこうありたいんだ!」という並々ならぬエネルギーがあったに違いない。
そこでこの楽曲はただ爽やかな曲にするのではなく、「キレ」、つまり「怒り」の感情を練り込んだのだと米津さんはインタビューの中で語っていました。
それがこの曲が毎朝流れる主題歌としては独特で、一方で実に「虎に翼」の主題歌らしい空気感を演出しているのだろうと思います。
《100年先も憶えてるかな》という歌詞にも、未来に対する米津さんの価値観が大きく反映されています。後ほど詳しく解説します。
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