【椎名林檎】×【宮本浩次(エレファントカシマシ)】の
「獣ゆく細道」について
MVと歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
本作はニュース報道番組「news zero」の
番組の新テーマ曲として
椎名林檎が詞曲を書き下ろしたものです。
人間の本能、野生、獣
を彷彿させる内容となっています。
そして、解釈を終えたとき
間違いなく語彙力が上がります(笑)
是非、最後までご覧ください!
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楽曲名「獣ゆく細道」とは
「獣」とは
全身に毛が生え、4足で歩く哺乳動物。
人間としての情味のない人を
ののしり卑しんでいう語。
という意味になっています。
そんな獣がゆく「細道」で
「獣ゆく細道」
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
MVの意味・解釈
録音にあたっては椎名初共演となる
宮本浩次氏(エレファントカシマシ)
が客演として迎えられています。
平成から新年号に移り変わる
潮目にふさわしく叶えられた味な競演。
時空を超え、誰しもに内包する普遍的な野性。
椎名林檎と宮本浩次、
二人の個性が絡みゆく映像世界が魅力的です。
映像監督を務めた児玉裕一は
今作のMVについて
自分自身と孤独に闘い続ける獣。その生き様を垣間見てしまったときの瞬間が、ヤバさが、しっかりとこの映像に刻まれたと思います
とコメントしています。
歌詞
この世は無常 皆んな分かつてゐるのさ
誰もが移ろふ さう絶え間ない流れに
ただ右往左往してゐるいつも通り お決まりの道に
潜むでゐるあきのよる
着脹れして生き乍ら
死んぢやゐあないかとふと訝る飼馴らしてゐるやうで
飼殺してゐるんぢやあないか
自分自身の才能を
あたまとからだ、丸で食い違ふ
人間たる前の単に
率直な感度を頼つてゐたいと思ふ
さう本性は獣丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ
行く先はこと切れる場所
大自然としていざ行かうそつと立ち入る
はじめての道に震へてふゆを覚える
紛れたくて足並揃へて
安心してゐた昨日に恥ぢ入る気遣つてゐるやうで
気遣わせてゐるんぢやあ 厭だ
自己犠牲の振りして
御為倒しか、とんだかまとゝ
謙遜する前の単に
率直な態度を誇つてゐたいと思ふ
さう正体は獣悴むだ命でこそ成遂げた結果が全て
孤独とは言ひ換へりやあ自由
黙つて遠くへ行かう本物か贋物かなんて無意味
能書きはまう結構です
幸か不幸かさへも
勝敗さへも当人だけに意味が有る無けなしの命がひとつ
だうせなら使ひ果たさうぜ
かなしみが覆ひ被さらうと
抱きかゝへて行くまでさ借りものゝ命がひとつ
厚かましく使ひ込むで返せ
さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ
誰も通れぬ程狭き道をゆけ
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歌詞の意味・解釈
1番
この世は無常 皆んな分かつてゐるのさ
誰もが移ろふ さう絶え間ない流れに
ただ右往左往してゐる
無常とは
この世の中の一切のものは、
永遠不変のものはないということ。
移ろふとは
(色が)あせる。さめる。なくなること。
右往左往とは
あわてふためいて混乱したさま。
どれだけ栄えている人でも
時間が経てば、必ず色褪せてきます。
そんな、盛者必衰の世の中。
誰もが、慌てふためていて
生き急いでいるのです。
いつも通り お決まりの道に
潜むでゐるあきのよる
着脹れして生き乍ら
死んぢやゐあないかとふと訝る
この曲の時節は秋。
その中でも、やや冷ややかな夜
秋の夜という情景が、
無常さを更に引き立ててます。
着脹れとは
重ね着してふくれあがった姿になること。
訝るとは
疑わしく思うこと。
ここの部分をまとめると
“自分を取り繕うために
何枚も偽物の自分を重ね着しているのは
死んでいるのと同じではないのか?”
というメッセージが込められています。
飼馴らしてゐるやうで
飼殺してゐるんぢやあないか
自分自身の才能を
あたまとからだ、丸で食い違ふ
人間たる前の単に
率直な感度を頼つてゐたいと思ふ
さう本性は獣
飼い馴らすとは、思い通りにするさま。
飼い殺すとは、
本人の能力を十分生かせないような状況
に置いたままにしていること。
“表面を取り繕っている人間は
上手く自分をコントロール
しているつもりなのかも知れないが、
実は、本当の自分を
引き出せていないだけじゃないのか?”
と言っています。
率直とは
ありのままで隠すところがないこと。
感度とは
他からの刺激に感じる度合い・程度。
つまり率直な感度というのは、
ありのままの本当の自分が感じるもの。
“それに頼ってみなさい。
そうすると、自ずと自分の正体が見える。
その正体は誰しもが『獣』”
という悟りがここでは述べられています。
サビ1
丸腰の命をいま野放しに突走らうぜ
行く先はこと切れる場所
大自然としていざ行かう
丸腰とは
武器を所持していないこと。
野放しとは
獣を野などに放して飼うこと。
こと切れるとは
息が絶える。死ぬということ。
“作った自分という武器を捨てて
自由に世界を駆け巡ろう。
そう、命が尽きるまで”
と言っています。
まさに、野生。
獣を彷彿させるような内容です。
2番
そつと立ち入る
はじめての道に震へてふゆを覚える
紛れたくて足並揃へて
安心してゐた昨日に恥ぢ入る
2番では時節が冬に変わります。
紛れとは、事の勢いで何かをすること。
足並揃えるとは
行動や進む方向などを同じにすること。
恥ぢ入るとは
非常にはずかしいと思うこと。
1番の内容に感化され、獣になった人間。
今まで、周囲の人達や社会の勢いにのまれて
行動を合わせていた自分を
恥じらっているようです。
気遣つてゐるやうで
気遣わせてゐるんぢやあ 厭だ
自己犠牲の振りして
御為倒しか、とんだかまとゝ
謙遜する前の単に
率直な態度を誇つてゐたいと思ふ
さう正体は獣
気遣うとは
あれこれ心配すること。
厭とは
物事に対して不快な気持ちを抱くこと。
自己犠牲とは
他者のために、自己の時間
労力・身体・生命をささげること。
御為倒しとは
表面はいかにも
相手のためであるかのように偽って、
実際は自分の利益をはかること。
かまとととは
知っているくせに知らないふりをすること。
前半部分の内容をまとめると
“人を心配する前に
自分が心配されてはいないか?
もし、そうなら大変遺憾なものだ。
また、この世のほとんどの人は
相手の為に生きているように繕っているが
たいていは、自分の利益を考えている”
と解釈できます。
そんな理性で溢れた人間よりも
率直で素直な『獣』の方が誇らしい
と言っています。
サビ2
悴むだ命でこそ成遂げた結果が全て
孤独とは言ひ換へりやあ自由
黙つて遠くへ行かう
悴むとは
手足が凍えて思うように動かなくなること。
生気がなくなって瘦せ衰えること。
成遂げるとは
物事を最後までしとおすこと。
“危機的状況で成し遂げた物事ほど
大切なのは結果。
どれだけ自分を隠して掴んだ成功も
どれだけ自分をさらけ出して掴んだ成功も
結果が同じなら、価値も変わらない”
と言っています。
つまり、したいことがあるなら
やり方や過程を考えるのではなく
本能のまま行動すればいい。
と伝えたかったのではないでしょうか。
獣になる(本能のまま生きる)というのは
社会の配列から離脱するも同じ。
しかし、それは『孤独』ではなく『自由』
と言っています。
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コメント
「借りものゝ命がひとつ 厚かましく使ひ込むで返せ」
これは魂以外は神から与えられたものという宗教観。