【椎名林檎×トータス松本】の
「目抜き通り」について
MVと歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
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楽曲名「目抜き通り」とは
まずこれを知る為には「目抜き」
という言葉に着目する必要があります。
「目抜き」とは変換すると「目貫」で
太刀・刀の身が柄から抜けないように
柄と茎の穴にさし止める釘のこと。
という意味になっています。
これがないと刀身が柄から抜けてしまい、使い物にならなくなってしまうため「目貫」は刀を構成する中でも、かなり重要なパーツ。
また、柄の真ん中にあたる装飾であるため
とても目立ちます。
この目立つさまが由来となり
「目抜き通り」
という、
その街で最も賑やかな場所、通り
という言葉が生まれたそうです。
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
MVの意味・解釈
MVではありませんが、こちらは銀座を舞台に椎名林檎と松本トータスがデュエットするスペシャルムービーになります。
レコーディングの現場にはバンド、管弦奏者の指揮、編曲を担当した斎藤ネコをはじめ、以前から椎名プロダクトに参加してきた凄腕の演奏家が集結したようです。
改めてですが、豪華すぎる。
またこちらは二人の
スペシャルインタビュームービー↓
本楽曲「目抜き通り」は、
「新たなる銀座ソングを!」
という要望のもと書き下ろされた楽曲。以前より共演を求めていたトータス松本に、椎名林檎がデュエットのオファーをしたことから共演が決まったようです。
インタビューではお互いや楽曲について
椎名林檎は
想像以上でした
トータス松本は
待っていた
やってみたかった
とコメント。
お互いを尊く思い合う姿が美しい。
また「目抜き通り」に
込められた想いについて
陽の当たる場所で、自分たちの人間としての成長を喜びたい。そんな気持ちを皆と共有できる楽曲にしたい。
と、林檎さんはコメントしています。
楽曲背景が見えてきましたね。
では、本題の歌詞に迫っていきます。
歌詞(和訳)
D’ou venons-nous?
(我々はどこから来たのか?)
Que sommes-nous?
(我々は何者なのか?)
Ou allons-nous?
(我々はどこへいこうとしているのか?)
Lorsque nous mourrons,
(我々が死ぬ時、)
aurons-nous les reponses?
(我々は答えを持っているだろうか)Where did we come from?
(我々はどこからきたのか?)
Who are we? where’ll we go?
(我々は何者か、どこへ行くのか?)
We die finally answering in the dark
(答えは我々の死によってはじめて齎される)
The world waits in my heart…
(世界はこの胸の裡に)誰も知らない わたしが何なのか
当てにならない 肩書きも苗字も
今日までどこをどう歩いて来たか
わかっちゃあいない 誰でもないそれなら上等 出るとこへ出るわ
当てにされたい 閃きもとんちも
もっと迷いたいもっと色めきたい
広い往来で本番さショータイム終らない
ああ 生きている間ずっと
愛し愛され歩いて行こうよ
銀座は、春最新のネオンサイン探したい
ああ まだ見ぬ仲間達が
まばゆく光り誘っている
日本の夏よそう、結果オーライ認めたい
ああ いのちの使い道は
すれ違いざま笑って返す
ほんの一瞬つらい仕事にご褒美のないときも
惚れた人が選んでくれないときも
不幸だった訳がわかっている今は
損しただなんてまるでおもわないあの世でもらう批評が本当なのさ
デートの夢は永い眠りで観ようか
最期の日から数えてみてほらご覧
飛び出しておいで目抜き通りへ!
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歌詞の意味・解釈
1番
D’ou venons-nous?
(我々はどこから来たのか?)
Que sommes-nous?
(我々は何者なのか?)
Ou allons-nous?
(我々はどこへいこうとしているのか?)
Lorsque nous mourrons,
(我々が死ぬ時、)
aurons-nous les reponses?
(我々は答えを持っているだろうか)
フランスから表現される歌詞。
和訳は上記の通り。
渇望するのは
「自分の存在意義」
これを求める背景には、自分の人生に悔いを残したくないだとか、可能な限り輝ける人生を送りたいと言うような背景があるのです。
Where did we come from?
(我々はどこからきたのか?)
Who are we? where’ll we go?
(我々は何者か、どこへ行くのか?)
We die finally answering in the dark
(答えは我々の死によってはじめて齎される)
The world waits in my heart…
(世界はこの胸の裡に)
次は英語で綴られる歌詞。
和訳は上記の通り。
自分の存在意義や人生に何を残したか、それが正しかったかどうかの答えなんて、亡くなってからしか分からないと言っています。
裡(うち)とは、珍しい漢字ですね。
基本的な意味は「内」とは変わりませんが
「裡」は物事の行われる状況を表す。
といった意が強いようです。
つまり最後の一文は
世界は自分の胸の中で作られる。
=世界は自分次第
といった意味を持つように解釈できます。
誰も知らない わたしが何なのか
当てにならない 肩書きも苗字も
今日までどこをどう歩いて来たか
わかっちゃあいない 誰でもない
道行く人は、自分のことなんて知りません。
どんな人であろうと
過去にどんなことをしていろうと
周囲の人間には分からないのです。
だからこそ、物申したいことが次に綴られます。
それなら上等 出るとこへ出るわ
当てにされたい 閃きもとんちも
もっと迷いたいもっと色めきたい
広い往来で
上で述べた解釈と合わせると
“道行く人は自分のことを知らないから
表の舞台(往来)に出てきたらいいのよ”
というメッセージを持つことが分かります。
もっと迷いたいもっと色めきたい
も含めて歌詞全体がかなり前向きですね。
サビ1
本番さショータイム終らない
ああ 生きている間ずっと
愛し愛され歩いて行こうよ
銀座は、春
愛し愛され生きる。
そのためには、周囲に認められる
(気持ちを共有する)必要があります。
つまり、出るとこに出る必要がある。
本楽曲でいう出るとこ
というのは「銀座」のこと。
夢を抱えて皆で成長できる場所
それを銀座の象徴にしたいという意図が読み取れます。
銀座ソングとしても至高ですね。
2番に続きます。
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