サビ2
哀しくて美しい思い出が
走馬灯のように 希望がちらついてしまう
この醜くて本当の気持ちが強くなる前に
きっと吐き気がするほど眩しい太陽
「私」が君と過ごした哀しく美しい思い出は、全て雨の中でのもの。
記憶が走馬灯のように頭に浮かんでは、その度に「このままずっと雨ならば…」という願ってはいけない希望がちらつくのです。そして自分の醜さが嫌になってしまいます。
きっとこの醜い気持ちが強くなってしまう前に、眩しい太陽が現れ「私」の役割は終わりを迎えます。しかしそれが果たしていい事なのか、はたまた悪いことなのか。
主人公の心はひどく複雑です。
3番
私の気持ちは自由だと誰かが言った
そんな事ないわ 運命よりも変えられないの
私の気持ちは自由。
私が何を願うかは、本来誰かに押し付けられるものではないはずです。別に傘としての役割なんか投げ出してもいいし、幸せなまま一緒に居られる状況を願えばいい。
何も知らない誰かはそんなことを謳います。
しかし、主人公は自分が単なるビニール傘であることを痛いほどわかっています。
また、例え関係をやり直せたとしても再び同じことを繰り返してしまうであろうことも。
傘として産まれた以上、何一つ変えられることなんかない。
生きている以上、醜い願いを持ち続けてしまう。
まるで存在自体が罪であるかのような、どこにも救いのない絶望を主人公は背負わされているのです。
ラストサビ
この雨がこのままずっと降れば
願ってはいけない そんな事は分かっていたはず
君に降る雨が いつの日か上がって青空を望んだら
その時私はきっと
君の傍にいること・雨が降り続けることを望んでは、そんなことを望もうとする自分の醜さに絶望を覚え、傷つき、悲しみに襲われる。
「私」にはもはや、その現状をどうすることもできないのでした。
擬人法で傘を描いた楽曲ですが、間違いなく世界には傘と同じ境遇にいる人物がいるはずで、さらに見つめなおしてみれば誰しもが傘としての側面を抱えているのかもしれません。
自分の境遇を今更変えることなんかできないという諦め。
今は必要とされているけれど、状況が変われば自分が無意味なものになってしまうのではないかという恐怖。
その意味でこの楽曲はセカオワの独創的なファンタジーでありながら、絶対的にリアルで普遍的な楽曲となっています。
雨が静かに上がり傘立てに置かれた傘
忘れた事さえ忘れられてしまったような
雨が静かに上がり、物語は終焉を迎えます。
君にとっての最高のハッピーエンドであり、傘にとっての最低のバッドエンド。
降り注ぐ日差しの中、傘は存在そのものを忘れ去られてしまうのでした。
誰かにとっての不幸が他の誰かに居場所を与えている。
何かに光が当たる一方で、その価値を失ってしまうものがある。
ただの捨てられた傘に多くを考えさせられる、切なくも美しい楽曲でした。
感想
君に幸せであってほしいけれど、君の幸せに私は必要ない。
そんなどうすることもできない関係性を「傘」を通して描き上げたセカオワの感性にはただただ感嘆するばかりです。
歌っていることは全く新しいことのような気もしますが、人ならぬ者と人間の物語を通じて美しい感情を描き出している、という点では「不死鳥」や「スノーマジックファンタジー」、「Error」といった過去の楽曲とも通ずるものを感じますね。
【SEKAI NO OWARI/umbrella】
歌詞の意味の解釈でした!
スポンサーリンク
コメント
Fukaseさんは歌詞が切なくて、いつでも聞いてられます。
umbrellaの歌詞の説明、奥が深くすばらしいですね✨この曲は、忘れた頃思い出してふと聞きたくなります。そこまで自分のことを自己否定しなくていいのに…でも、そうなってしまう自分がいて、なんだか切ないですね