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【ヨルシカ/思想犯】歌詞の意味を徹底解釈!孤独な主人公の”破壊衝動”

【ヨルシカ】「思想犯」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔  主人公の抱える犯罪思考

✔  尾崎放哉の名句の引用

✔ 主人公が「実行犯」にはならない理由

 

骨助
骨助

「思想犯」という鮮烈な楽曲タイトルそのままの、インパクト抜群の楽曲。是非最後までお読みください…!

 

 

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描かれるのは主人公の”破壊衝動”

今回紹介していく「思想犯」はヨルシカのアルバム「盗作」収録の楽曲です。

 

アルバム単位で定められた明確なコンセプトの元、収録楽曲が制作されるヨルシカですが今作「盗作」のテーマは「音楽の盗作をする男」を主人公とした男の”破壊衝動”。

今回考察していく「思想犯」はまさにこの ”破壊衝動” というものが如実に表れた楽曲となっているように感じます。

 

楽曲の配信日に公開されたMVの概要欄では、楽曲について

思想犯というテーマは、ジョージ・オーウェルの小説「1984」からの盗用である。そして盗用であると公言したこの瞬間、盗用はオマージュに姿を変える。盗用とオマージュの境界線は曖昧に在るようで、実は何処にも存在しない。逆もまた然りである。オマージュは全て盗用になり得る危うさを持つ。
この楽曲の詩は尾崎放哉の俳句と、その晩年をオマージュしている。
それは、きっと盗用とも言える。

というコメントが残されています。

 

「盗用」は悪意による他者の作品の不正使用であり、「オマージュ」は作者への尊敬から似たような作品を創作すること。

「盗作」というアルバム名からは主人公が非情な人物であるように思えますが、それはあくまで「オマージュ」の別の側面であるということがここで強調されています。

 

尾崎放哉は1世紀ほど前の時代を生きた代表的な詩人です。

一体彼の晩年をオマージュした詩とはどのようななのでしょうか。

 

骨助
骨助

歌詞の考察に移る前に、まずはタイトルの意味を読み解いていきます。

 

楽曲名「思想犯」とは

先述の通り、「思想犯」という楽曲テーマはジョージ・オーウェルの小説「1984」をオマージュしたものです。

 

この小説の舞台は、巨大な国家により国民の思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられている世界。物語の主人公は国家により極刑相当の「思想犯罪」と定められた「ノートに自分の考えを記して整理する」行為に手を染めています。

 

また辞書的に言えば、「思想犯」とは「国家体制に相反する思想に基づく犯罪。また、その犯人。」のこと。

例えば戦時中の日本での反戦運動や社会主義運動なんかがこれに当たります。

 

楽曲の主人公は小説の世界ならば「思想犯罪」にあたる詩を書き連ねる音楽家であり、自らの信念のもとに罪を犯そうと目論んでいる危険な人物。

 

その意味で、楽曲タイトルには「思想犯」という言葉が用いられているのではないでしょうか。

 

この楽曲名が歌詞の内容とどう関与しているのでしょう。

 

骨助
骨助

本題の歌詞考察に移ります…!

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歌詞

他人に優しいあんたにこの心がわかるものか
人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた
朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった
その為に包丁を研いでる

硝子を叩きつける音、何かの紙を破くこと、
さよならの後の夕陽が美しいって、君だってわかるだろ

烏の歌に茜
この孤独も今音に変わる
面影に差した日暮れ
爪先立つ、雲が焼ける、さよならが口を滑る

認められたい、愛したい
これが夢ってやつか
何もしなくても叶えよ、早く、僕を満たしてくれ
他人に優しい世間にこの妬みがわかるものか
いつも誰かを殴れる機会を探してる

ビール瓶で殴る街路灯、投げるギターの折れる音、
戻らない後悔の全部が美しいって、そういうのさぁ、僕だってわかるのに

言葉の雨に打たれ
秋惜しむまま冬に落ちる
春の山のうしろからまた一つ煙が立つ
夏風が頬を滑る

他人に優しいあんたにこの孤独がわかるものか
死にたくないが生きられない、だから詩を書いている
罵倒も失望も嫌悪も僕への興味だと思うから
他人を傷付ける詩を書いてる
こんな中身のない詩を書いてる

君の言葉が呑みたい
入れ物もない両手で受けて
いつしか喉が潤う
その時を待ちながら

烏の歌に茜
この孤独よ今詩に変われ
さよなら、君に茜
僕は今、夜を待つ
また明日。口が滑る

 

作詞:n-buna

歌詞の意味・解釈

1番

他人に優しいあんたにこの心がわかるものか
人を呪うのが心地良い、だから詩を書いていた
朝の報道ニュースにいつか載ることが夢だった
その為に包丁を研いでる

「思想犯」という鮮烈で物騒なタイトルからもわかるように、主人公は行動に移せば全てを失いかねないような、危険な思想を胸に抱いています。

 

「他人に優しいあんたにこの心がわかるものか」

誰にも理解してもらえないような、いくらか歪んだ価値観を持つ主人公。

包丁を研ぐように、犯行の準備を整えるその様はまさに「思想犯」と呼ぶにふさわしいものでしょう。

 

誰かを殺す快感を味わいたいだとかそういう動機ではなく、朝のニュースで報道されることが夢。

あくまで主人公の思想の根底にあるのは、「自らの人生の破滅を大々的に報道してほしい」というある種の自己顕示欲のようです。

 

彼が行っている「盗作」も、世間に露見すれば音楽家としての全てを失ってしまう禁忌行為。

いつか報道ニュースに乗るための準備であると捉えることができるでしょう。

 

何故犯罪による人生の終わりを望んでいるのか、というその理由は次の歌詞で明かされています。

 

硝子を叩きつける音、何かの紙を破くこと、
さよならの後の夕陽が美しいって、君だってわかるだろ

さよならの後の夕日は美しい。

少々抽象的な表現ではありますが、恐らくここで歌われているのは「戻らない物は美しい」ということです。

 

叩きつけられて砕けたガラスも、破かれた紙も、一度終わってしまえば二度と戻ることはありません。

例えば花火だって、一瞬ではじけ飛んでしまえばそれでお終い。

しかしながら、だからこそその最後の瞬間は美しく輝くのです。

ガラスも紙も花火も、人間関係も。

どれだけ悔やんだって戻らないからこそ、戻らない物には美が宿ります。

 

物語の最後のさよなら、そしてその後の夕日はこの世の何よりも美しい。

だから主人公は、ニュースで報道されるような犯罪でこのつまらない毎日に劇的な結末を与えることを夢見ています。

楽曲で登場する「君」との関係も、美しい「さよなら」で幕が閉じられることを切望しています。

戻らない結末を与えることで、美しいものとして人生や人間関係を締めくくろうとしているのです。

 

サビ1

烏の歌に茜
この孤独も今音に変わる
面影に差した日暮れ
爪先立つ、雲が焼ける、さよならが口を滑る

ここで描かれている情景は、主人公が夢見る最後の景色でしょう。

 

君の面影に夕陽がさし、雲は焼き立つように赤く照らされる美しい街の中、主人公は「さよなら」という言葉を口を滑らせたように静かに告げる。

主人公の抱える孤独も音に変わり街に消えていく。

 

そこに待つ景色は、きっと誰が見たって美しいものに違いありません。

主人公はそんな結末を夢に見ているのです。

2番

認められたい、愛したい
これが夢ってやつか
何もしなくても叶えよ、早く、僕を満たしてくれ
他人に優しい世間にこの妬みがわかるものか
いつも誰かを殴れる機会を探してる

認められたい、愛したい。

主人公の夢は満たされないままに、ねじ曲がった形へと変わっていきました。

 

きっと世間にはこんな妬みがわかるはずがない。きっと誰にもこの憂鬱は理解してもらえない。

そう感じて正常な認められ方、愛し方を放棄した主人公は、いつだって誰かを殴り、傷つける機会を探しています。

世間に認められることのない、「盗作」を秘密裏に行っています。

 

ビール瓶で殴る街路灯、投げるギターの折れる音、
戻らない後悔の全部が美しいって、そういうのさぁ、僕だってわかるのに

ビール瓶もギターも人間も、破壊してしまえばそれまで。

一度それらを破壊してしまったその後には戻らない後悔だけが残ります。

 

しかし青春が人生で何より輝いているように、戻らない後悔はきっと何よりも美しい。

だから何かを壊して、世間の注目を集めて、君に「さよなら」を告げて、すべてを戻らない過去にしてしまいたい。

いつか盗作が露見させて、音楽家としての全てを失いたい。

人生を美しく締めくくりたい。

 

ここまでの歌詞でずっとそう歌い続けてきた主人公。

そういうのさぁ、僕だってわかるのに

しかしここからの歌詞では急に雲行きが変わり始めます。

 

サビ2

言葉の雨に打たれ
秋惜しむまま冬に落ちる
春の山のうしろからまた一つ煙が立つ
夏風が頬を滑る

2番のサビの歌詞は一見すると時間の経過を表しています。

「戻らない後悔の全部が美しいって、そういうのさぁ、僕だってわかるのに」

大々的に罪を犯して戻らない後悔を作りたいと願いながらも、結局彼は満たされることなく月日だけが流れていきます。

 

なぜ主人公は戻らない後悔をすることができず、満たされることができないのか。

 

ここで注目したいのが春の山のうしろからまた一つ煙が立つという歌詞です。

公式のコメントにもあった自由律俳句の代表的詩人・尾崎放哉の句に「はるの山のうしろから けむりが出だした」というものがあります。

ここでの歌詞は明らかにこの句を模したもの。アルバムのタイトルになぞらえて言うなれば「盗作」です。

 

これは41歳でこの世を去った尾崎放哉が人生の最後に残した句であり、「死期を悟った放哉が故郷の山を懐かしみ詠んだ句である」とする解釈があります。

海に憧れ、各地を渡り歩いた放哉が最後に思い浮かべた景色は結局懐かしい故郷のものだった、というわけです。

 

ここから想像するに、楽曲中の主人公も美しい終わりを望みながら、結局は思い出へ執着しているのではないでしょうか。

 

全てを美しく終わらせようとしても、戻りたい過去が頭をよぎる。

罪を犯し、全てを失ったつもりになったところで、思い出からは逃れることができない。

帰りたい過去がある。

過去を懐かしみ誰かを想う気持ちが、主人公を妨げているのです。

 

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