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【indigo la End/夜漁り】歌詞の意味を徹底解釈!グッバイ、会えぬ人よ。

【indigo la End(通称:インディゴ)】「夜漁り」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔ 切なすぎる恋の終わり…

✔ 川谷絵音の圧巻の心理描写

 

骨助
骨助

毎年最高に切ないindigoの夏ソング。今作も必聴です。

 

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とても”強さ”を持った曲(川谷談)

今回紹介していく「夜漁り」は2020年6月18日に公開されたindigo la Endの配信楽曲。

 

まだ6月なので夏曲と呼んでいいかは少々微妙なところではありますが、これまでの夏曲の例に違わず今回も最高に切ない爽やかな楽曲となっています。

 

骨助
骨助

もっともindigoの楽曲は夏だろうが何だろうが切ないですが…

 

川谷絵音さんは楽曲についてTwitterにて、

とても ”強さ” を持った曲です。聴いてください。

とコメントしています。

 

確かにコメントの通り、楽曲は別れを扱った楽曲ながらも女々しさのようなものはあまり感じられず、ある意味で別れへの決意のようなものが感じられる歌詞となっています。

 

楽曲名「夜漁り」とは

なかなか日常で頻繁に使うことはありませんが、動詞「漁る」

  • 動物がえさを探し求める
  • 物や人を探し回る

といった意味になっています。

 

楽曲中での主人公はもちろん食べ物を求めているわけではないので、ここでは後者の意味。

 

ふと夜中に昔が恋しくなって、記憶の中で大切な人を探し回る…

そんな主人公の様子を「夜漁り」と表現しているのではないでしょうか。

 

骨助
骨助

タイトルの意味を確認したところで歌詞の考察に移っていきます…!

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歌詞

グッバイ
もう戻れないからグッバイ
灯る場所には
グッバイ
たおやかな火
君のことだよ

午前2時恋しくなる
過去だけは認めたまま
ああ、軽いキスも重いキスもしたけど
言ったそばから
君とはもう

会えない
もう会えない
夜を漁るあいにくの御心で
燃えない
もう超えない
恋はそこに寂しく転がってる

さすらうのは
予備の心
本当はもう
此処にあらず

あまりにも切ないけど
君とはもう

会えない
もう会えない
夜を漁るあいにくの御心で
燃えない
もう超えない
恋はそこに寂しく転がっては
癒えないし
飾れない
電話したら夜が曲がるだけだし
そんな二人はもう
はなればなれ
このまま時は過ぎる

止まない
夜の餌
君はどこで悲しみに耽るのか
会えない
もう燃えない
寂しそうな転がり方見てると

恋はきっとわがままだし
夜の底は途方もない
グッバイ グッバイ
会えぬ人よ

流体みたいだ

作詞:川谷絵音

歌詞の意味・解釈

1番

グッバイ
もう戻れないからグッバイ
灯る場所には
グッバイ
たおやかな火
君のことだよ

楽曲で描かれるのは、とある二人の恋愛模様

 

「グッバイ」

という単純明快な一言から楽曲が始まることが全てを物語っていますが、二人の関係はすでに終わりを迎えようとしています。

君の元にはもう戻れないからグッバイ。淡々と終焉を告げる主人公。

性別は明らかではありませんが、この記事では便宜上女性としてと表現していきます。

 

先に結末だけが語られているこのパートだけを見るとひどく薄情ですが、後の歌詞でこの別れに至るまでの経緯が語られていくことで楽曲の切なさは急速に加速していきます。

 

午前2時恋しくなる
過去だけは認めたまま
ああ、軽いキスも重いキスもしたけど
言ったそばから
君とはもう

時刻は午前2時。

別れを告げる主人公ですが、夜の闇の真っただ中にふと「君」と過ごした過去を思い出してはもの恋しさを痛感しています。

 

軽いキスも重いキスもした。間違いなく二人は恋をしていた。

一見すると淡泊な関係にも思えましたが、二人には時間を共にしていた膨大な時間があったことがここから窺い知れますね。二人の関係は決して、薄っぺらく空虚なものではありませんでした。

 

十分に恋しくなるに値するほどの幸せな過去が、キスを重ねるほどの恋心が、確かに二人にはあったのです。

 

しかしそれとこれでは話は別。

幸せな過去があったことは自分の中で認めながらも、それでもなお「君」から離れようとする心が主人公の中には蔓延っています。

サビ1

会えない
もう会えない
夜を漁るあいにくの御心で
燃えない
もう超えない
恋はそこに寂しく転がってる

どれだけ過去を恋しく思おうと、そう思ったそばから「君とはもう会えない」という感情が主人公を突き放します。

 

もう君とは会えない。

主人公がこれほどまでに別れに執着する理由は、最後の「恋はそこに寂しく転がってる」という歌詞に集約されているのではないでしょうか。

 

恋というものは直感的な激情だとよく言われます。「恋に落ちる」なんて表現からもわかるように、自分の意志とは無関係に恋心に支配され人は盲目的になります。

恋に溺れ、恋に身を焦がす。

恋は自分を内側から突き動かす、どうしようもない感情の動きなのです

 

「恋はそこに寂しく転がってる」

しかしここでは、激しい感情であるはずの恋がそこに転がって見えています。俯瞰的に恋を捉えられている時点でもはや主人公は恋をしていません。「寂しく転がっている」という表現からも、その熱量の小ささは明らかでしょう。

 

もう燃えないし、もう超えない。

 

当時の恋心の様な衝動的な感情はきっともう戻ってこないのだとわかっているから、彼女は「もう会えない」のだと突き放しているのです。

会ってもただ過去が恋しくなるだけ。

決して「君」と過ごした幸せな時間を忘れたわけではないし、会いたくないわけではないけれど、もう会うことなんてできないのです。

 

「夜を漁るあいにくの御心で」

誰も責めることはできないし、もはやどうすることもできない。

満ち足りない、どうしようもない切なさを抱え込んだ主人公は心を埋め合わせる何かを必死に探し求め、深夜2時の闇を彷徨っています。

 

2番

さすらうのは
予備の心
本当はもう
此処にあらず

あまりにも切ないけど
君とはもう

深夜のやるせない感情を埋める何かを求め、さすらう主人公。

どこかで未だ「君」との関係に諦めがつかず、必死にもがいているようにも感じます。

 

しかし彼女は、本当の自分の気持ちにもう気付いてしまっています。

 

「さすらうのは予備の心」

 

ただ「君」から自分が離れていくのが怖くて、予備の心で彷徨い歩いているだけ。

本当の心は、もうとっくに遥か彼方へ離れてしまっているのです。

どこかで「君」を諦めきれないし傷つけたくないその一方で、もう君から離れていこうとする自分がいるという悲しすぎる現実が主人公を襲っています。

 

君を忘れたいわけではない。

あまりにも切ないけど、君とはもう。

 

骨助
骨助

ここからさらに畳みかけるように切ない歌詞が続いていきます…

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コメント

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