【RADWIMPS(ラッドウィンプス)】の「夏のせい」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✔ RADWIMPS流、夏表現
✔ 野田洋次郎が歌に込めた想い
✔ セプテンバーさんのときと変わらない夏の認識
とても共感深いRADWIMPS風サマーソング。夏くらい羽を伸ばしたいあなたにおすすめの1曲です!
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変わらない夏に対する美的認識
今回考察していく「夏のせい」は、月額性音楽サービス「Apple Music」で限定配信された真夏のロックアンセム。
作詞作曲を担当した野田洋次郎は
僕ら、季節をテーマにした曲ってそんなになくて。夏にフォーカスして、自分が感じる夏というものを、一度RADWIMPS流に、ストレートに表現したいという思いが強かったんです。歌詞の中にも、夏の美しさだったり、はかなさだったり、やんちゃさであったりという情緒みたいなものが全部一つの曲に込められた気がして、気に入っています。
と楽曲についてのコメントを残しています。
RADWIMPS流の夏表現。
これが楽曲の歌詞には凝縮されているのです。
また少し話は逸れますが、RADWIMPSが代表する夏の歌(正確には夏の終わりの歌)の歌詞で
あの気持ちが好きなの”
とあったのを皆さんは覚えていますか?
これは2006年にリリースされた歌なんですけど、下記で考察していく「夏のせい」の歌詞を見ていると「夏=キラキラしているもの」という美的認識は、RADWIMPSの中で一ミリも変わっていないことを感じさせられます。
あなたは夏にどんなイメージを持っていますか? 個人的には「キラキラした情景」という認識にはかなり共感でした。
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歌詞
夏のせいにして 僕らどこへ行こう
恋のせいにして どこまででも行こう胸踊るものだけが 呼吸するこの季節に
取り残されて 置いていかれてみようよ今日から季節が 次へまたいだと
空と匂いと君の顔で すぐわかった二割増しの無茶とか ガラにない背伸びとか
春秋冬の三つで溜めた 助走をいざ
一つの呼吸のたび君は 綺麗になった忙しない だらしない 今までない
二度とこない 果てしない夏の予感夏のせいにして 僕らどこへ行こう
恋のせいにして どこまででも行こう5倍速ですべてが 駆けてくこの季節に
例えばほら、永遠でも 見に行こう僕らが跡形もない3000年後も
何ひとつ変わらずに 夏は謳いだすだけど今は僕らの順番だから
できる限りさ長引かせるよ 気長に待って
このひと夏の蓋がとれるほど 詰め込むよ昼と夜 視線と恍惚と
臆病と覚悟を ごちゃまぜたプールで君のせいにして 僕は愛を歌う
恋のせいにして 僕は愛を誓ういくつもの夢たちが 今夜破れても
君と僕なら 勝てないわけない気がした「夏の氷と魔法は 溶けるのが早いんだよ」と
少し涼しくなった夜みたいな横顔で 君は言うんだよ夏のせいにして 僕らどこへ行こう
恋のせいにして どこまででも行こう不確かと不自由だけ 抱えた僕らのこと
輝かすのが 得意な季節夏のせいにして 僕らどこへ行こう
恋のせいにして どこまででも行こう異端者も 科学者も 夢想家も
解けたことない 命題を今僕たちの手で胸踊るものだけが 呼吸するこの季節に
いついつまでも 取り残されていようよ作詞:野田洋次郎
歌詞の意味・解釈
頭サビ
夏のせいにして 僕らどこへ行こう
恋のせいにして どこまででも行こう胸踊るものだけが 呼吸するこの季節に
取り残されて 置いていかれてみようよ
本楽曲の歌詞では「夏を舞台としたさまざまな情緒」が描かれていきます。
まず頭サビで綴られているのは
- 「夏の青春感」
- 「夏の無敵感」
といったところ。
タイトル名にも起用されている「夏のせい」ですが、やはり人は「リミットを外して好きなことをしたい!」といった欲求を持っているもの。
だからこそ比較的、開放的になれる「夏」のせいにして、やりたいことをやっていこうと言っているのです。
万物が胸躍っている季節だから、僕(君)も羽目を外しちゃっていいんだよ?
と、まさに「夏のせいにしてどこまででもいこう」と訴えかけている姿が浮かびますね。
度が過ぎちゃっても「夏のせい」にしたら良いのです。
1番
今日から季節が 次へまたいだと
空と匂いと君の顔で すぐわかった
1番で描かれるのは見た通り「夏に入った瞬間の情景」です。
また本歌詞では「君」という登場人物が登場します。
この存在は「夏=キラキラしたもの=恋」といった連想的方程式が成り立たせているのでしょう。
夏のせいの中心にあるのは「恋」ではないけれど、夏の輝きを想えば必然的に恋の要素が中心に入ってくるのです。
つまり、夏の美しさは恋の美しさすら形容させるほど、輝きを放っていると認識しているわけです。
もしもあなたがこの歌に入る「君の存在」に違和感を感じなかったのなら、夏と恋は同義できるほど美しいと認識している証なのかも知れません。無意識下で共感させられているのです…!
二割増しの無茶とか ガラにない背伸びとか
春秋冬の三つで溜めた 助走をいざ
一つの呼吸のたび君は 綺麗になった忙しない だらしない 今までない
二度とこない 果てしない夏の予感
続く1番歌詞は、夏の待ち遠しさを感じさせると同時に、儚さを心に浸透させる。
待ち望んでいた夏は、君をいっそう煌めかせるけど、この最高の輝きは今だけのもの(二度と来ないの)です。
「二度とこない 果てしない夏」
そんな一見矛盾した歌詞が、夏の美しさと儚さを強調させます。
サビ1
夏のせいにして 僕らどこへ行こう
恋のせいにして どこまででも行こう5倍速ですべてが 駆けてくこの季節に
例えばほら、永遠でも 見に行こう
「美しすぎる夏の瞬間を永遠のものにしたい…!」
夏を抱きかかえたいほどの想いがサビ1には凝縮されているように感じます。
1番Bメロでも伝わってきたように、
鮮やかな光を放つ夏は美しいけれど儚いもの。
だからこの美しさを恒久的なものにするべく「永遠でも見に行こう」といった突拍子もない提案がサビの最後では綴られているのでしょう。
2番
僕らが跡形もない3000年後も
何ひとつ変わらずに 夏は謳いだすだけど今は僕らの順番だから
できる限りさ長引かせるよ 気長に待って
このひと夏の蓋がとれるほど 詰め込むよ昼と夜 視線と恍惚と
臆病と覚悟を ごちゃまぜたプールで
2番歌詞では「季節(とき)が語るもの、季節(とき)が繋ぐもの」の圧倒的スケールを感じさせられます。
何千年前から人々をキラキラさせてきた夏は、何千年後も人々を照らし続ける。
まるで「その偉大な恩恵を受けた僕たちが、楽しさの限りを尽くさなくてどうする!」と言わんばかりですよね。
昼と夜も、視線と恍惚も、臆病と覚悟も、夏という偉大で巨大な季節がどうにかしてくれる。だから夏はたくさんの情緒を吐き出しても良い季節なのです。
歌詞はさらに続いていきます。一緒に後を追っていきましょう!
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