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【クリープハイプ/モノマネ】歌詞の意味を徹底解釈!酷いモノマネに隠された意味が切ない!

【クリープハイプ】「モノマネ」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

読みどころ

✔ 失恋を歌う女性目線の歌詞
✔ 尾崎さんの比喩表現の巧み
✔ 切なすぎる「酷いモノマネ」

 

サルー
サルー

歌詞は1番とラストサビといった構成で比較的短いのですが、しっかりとした物語性が歌詞の中には存在していました。

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劇場アニメ「どうにかなる日々」主題歌!

→Apple Musicでフル視聴する

 

今回紹介していく「モノマネ」は、劇場アニメ『どうにかなる日々』の主題歌として書き下ろされた楽曲。さらに主題歌のみならず、劇判音楽もクリープハイプが担当しています。

 

 

上記は『どうにかなる日々』のキャッチフレーズ。

本アニメは“誰かの恋”を優しく見守り、温かく描くオムニバスショートストーリー集なのです。

 

ボーカルの尾崎さんは

初めてのことで、これが正確か不正解かもわからないまま劇伴音楽に向き合っていました。
でもこの作品自体が、正確と不正解だけでは掴めないものを描いているから、きっとそれこそが正解だったんだと思います。

「どうにかなる日々」は、ちゃんと目を見て話してくれる物語、ちゃんと目と目が合う映画だと思っています。
その中で、観た人の耳に少しでも何かを残せたら幸せです。

と音楽についてコメントを残しています。

 

サルー
サルー

等身大で描かれる物語。これを「モノマネ」という主題歌で尾崎世界観はどのように描いたのでしょうか。まずはタイトル名に着目していきましょう!

楽曲名「モノマネ」とは

「モノマネ」とは

  • 人間や動物の声や仕草・様々な音・様々な様子や状態を真似すること。

を意味します。

 

日常ではものまねタレントに倣って、砕けた輪で使われることが多い言葉ですが、本楽曲においては恋人間の「同じタイミング笑った」「同じものを飲んだ」など似た二人を表現する用途を担っています。

 

歌詞を読み解いていくと分かるのですが、実はこの「モノマネ」には悲しくて切ない想いが入り混じっています。

 

サルー
サルー

それでは歌詞を細かく紐解いていきましょう!

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歌詞

シャンプーの泡 頭に乗せて ふざけるから
楽しくなって よそ見するから ほらリンス忘れてる
それから体 洗い流せば おんなじ匂い
嬉しくなって でもその分 小さくなる石鹸

いつもとおんなじ道を歩いて いつもとおんなじ空を見る
同じキーホルダーをつけた鍵は何から何までそっくりだった

おんなじ家に帰る幸せ おんなじテレビで笑う幸せ
このモノマネ全然似てないね 下手だって 馬鹿にしてたけど
似てないのは もしかしたらひょっとしたらひょっとした
あの時あなたは泣いてたのに何も知らないあたしはただ笑ってた

全然似てない 今更泣いても酷いモノマネだな
やっぱり似てない 今更泣いても酷いモノマネだな

違うところに怒る不幸せ 違う気持ちを許す幸せ
あたしのこと全然見てないじゃん もういいって不貞腐れてたけど
見てないのは もしかしたらひょっとしたらひょっとした
でもあなたが笑ってたから何も知らないあたしはただ笑ってた
ある晴れたそんな日の思い出 どこにでもある毎日が
今もどこかで続いてるような 気がして 探して

全然似てない 今更泣いても酷いモノマネだな
やっぱり似てない 今更泣いても酷いモノマネだな

作詞:尾崎世界観

歌詞の意味・解釈

1番

シャンプーの泡 頭に乗せて ふざけるから
楽しくなって よそ見するから ほらリンス忘れてる
それから体 洗い流せば おんなじ匂い
嬉しくなって でもその分 小さくなる石鹸

最初にお話ししておくと、本楽曲では失恋した女性の後悔が描かれていきます。それもこっそり日常に潜んでいたレベルの些細な後悔です。

 

上記1番のAメロに描かれているのは、彼と送り合っていた幸せな日常といったところでしょう。

 

ふざけ合って、同じにおいになって、それで満足する。

全体的にそんな微笑ましい情景なのですが、不穏な空気感をラスト一文の「小さくなる石鹸」が演出しています。

 

楽しかった日常の中には擦り減って消費されていたものも確かに存在していたのです。幸せな情景の中に紛れる現実を隠し描いているのでしょう。

 

サルー
サルー

余談ですが「シャンプー」というスタートフレーズに「ボーイズENDガールズ」を想起させられました。

 

いつもとおんなじ道を歩いて いつもとおんなじ空を見る
同じキーホルダーをつけた鍵は何から何までそっくりだった

Bメロでも二人の中の良さを象徴するかのように「おんなじ二人」が描かれていく。

 

いつも一緒にいた二人はやっぱり似ていた。そっくりだった。

 

しかし過去を振り返った主人公は似ていない部分もあったことに気付く。

この綻びとも言うに足りないナニカは、サビ1以降で描かれていきます。

 

サビ1

おんなじ家に帰る幸せ おんなじテレビで笑う幸せ
このモノマネ全然似てないね 下手だって 馬鹿にしてたけど
似てないのは もしかしたらひょっとしたらひょっとした
あの時あなたは泣いてたのに何も知らないあたしはただ笑ってた

「おんなじ」で埋め尽くされていた二人。

 

しかしここのサビで「ひょっとしたらひょっとした」くらいの危惧で、すれ違いが描かれます。

 

歌詞中で「あの時」が示す事柄が解説されることはありませんが、失恋した女性の物語であることを踏まえると「彼と別れたあの時」ではないかと推測することができます。(後の歌詞にもこれが一番しっくりくる)

 

彼は泣いていたのに私は笑って誤魔化した。

この「同じじゃない」が大切な別れのシーンではあったのでしょう。

 

だから過去に彼と一緒に見た「似ていないモノマネ」を思い出して『のんきに笑っていたけど本当に似ていないのは私たちだったのかなあ』と憂鬱に浸っている。

 

「ひょっとしたら」とは名ばかりの「確信」は、気付くのに遅れた自分を悔いている側面があるのかも知れません。

 

全然似てない 今更泣いても酷いモノマネだな
やっぱり似てない 今更泣いても酷いモノマネだな

そして主人公は今になって過去を回想して涙を流す。

 

あのとき彼と同じタイミングでは泣けなかったのに、、、

 

「酷いモノマネ」が意味するのは、単純に泣き顔が似ている似ていないの話ではなく「今更泣いても遅い(彼は帰ってこない)」という、手遅れの意味を込めた「酷い」なのでしょう。

 

サルー
サルー

「酷いモノマネ」が深すぎる。そして歌詞は切ないラストサビへと続いていきます。

 

 

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