2番
夢も歌も賽の目も いつも僕には冷たくて
まるで暖をとるかの ようにから笑いを繰り返すそんな日々だけど 君のその笑顔は
僕を温めた 身体の芯から優しく
2番冒頭の歌詞はゴウとテラシンのどちらとも判断しがたいので、共通する想いを歌ったものであるような気がします。
夢も一度は途絶えてしまったし、賽の目にも恵まれなかった彼ら。
またこの『キネマの神様』という作品自体もコロナウイルスで尊い人を失ってしまったし、緊急事態宣言により撮影の中断を余儀なくされました。間違いなく夢も歌も賽の目も、彼らには冷たかったように思います。
それでもなんとか笑い合って、映画製作の夢を追いかけ続けた登場人物たちと映画制作陣。
彼らの姿を切り取った暖かい歌詞となっています。
何回か先の世でまた逢うかな
その時ぶきっちょな顔はよしてよ僕はまた一から君に恋を
どう逆らってもしてしまうだろうそしたら人生またぎで特大の
いつもの憎まれ口を聞かせて
ここでは野田さんがたびたび楽曲で取り上げる来世の話をしています。
前半2行は野田さんの歌唱パートでテラシン視点。残念ながら劇中のゴウの命はそう長くありませんし、テラシンも歳を取っているので死は近づいて来ています。
何回か先の世でまた逢ったら、ぶきっちょな顔はよしてよ。
ちょっといたずらっぽく、二人の再会を彼は願っています。
次の二行は菅田さんの歌唱パートでゴウ視点。親友のテラシンについてではなく、どう考えても妻の淑子のことを歌っています。
淑子と出会って恋をしてからというもの、彼女に支えられっぱなしだったゴウ。
僕の何分の一でも彼女は幸せでいれたのだろうか。
僕と出会ってしまったことが運の尽きだったんじゃないか。
そんなことも考えていました。
でももし来世でまた会えた時には、きっとどう逆らってもまた君に恋をしてしまうんだろう。
そんな不器用な彼のまっすぐな想いがここでは綴られています。
最後の二行は野田さんの歌唱パートでテラシン視点。
実は二人は淑子を巡って色々あったりもするんですが、それでも《人生またぎで特大の いつもの憎まれ口を聞かせて》と言ってしまえる辺りに二人の深い関係性が表れていますね。
ラストサビ
うまく笑えているかな 鏡の前たしかめるけど
「お前さん 顔をあげなよ 無理してでもさ
似合わないだろう お前に涙なんかは」
どこからともなくあの 人懐っこい声が聞こえるだろう
最後の歌詞はこれまで通りに解釈していけばテラシン視点。
一番のサビではゴウが自分に問いかけているので《お前さん》という歌詞が鍵括弧なしで登場しますが、ここではゴウがテラシンに語り掛ける形になっているので鍵括弧が付いています。
どこからともなく、あの人懐っこい声が聴こえてくる。
そう歌う最後の歌詞もまた、作品の世界観に沿った歌詞であると同時に、亡くなった志村さんの暖かい空気感を感じずにはいられません。
映画には志村さんは登場しませんが、代役としてゴウの晩年を演じた沢田さんが志村さんのヒット曲「東村山音頭」を歌うシーンもあり、確かに彼の生きた証は残されています。
志村さんが天国で映画の完成を喜んでくれていることを願うばかりです。
過去と現代、現実と虚構、そして天国とを繋ぐ特別な曲。
「キネマの神様」プロデューサーの房俊介さんは楽曲をそう説明されていましたが、まさにその通りの歌詞であると感じました。
【RADWIMPS feat.菅田将暉/うたかた歌】
歌詞の意味の解釈でした!
スポンサーリンク
コメント