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【菅田将暉/キスだけで】歌詞の意味を徹底解釈!あいみょんが描く衝撃的な歌詞の実態は?

【菅田将暉×あいみょん】

「キスだけで」について

歌詞の意味を徹底的に

考察および解説していきたいと思います。

本楽曲は

実体験をもとにあいみょんと作り上げた楽曲

と称されています。

意味深な性的表現の実態とは!?

是非、最後までご覧ください!

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楽曲の基本情報

今回紹介する「キスだけで feat. あいみょん」は、菅田将暉の第2弾アルバム「LOVE」の収録曲であり、アルバムのリリースに先駆けて、MVが公開されました。

  • 赤のスポットライト
  • 背中合わせのベッド
  • 両者の切なさと真剣さが漂う表情

が楽曲の持つ「妖艶さ」を強調しています。

 

また、本楽曲は、

菅田将暉が女性パート、

あいみょんが男性パートという

男女のパートが逆の構成

になっています。

これについては、菅田将暉自身が

女性が歌う「男の歌」ってすごく好きなんです。その歌っている人自身もキュートに見えるし、女性らしさも出るし、男の男らしいところも女々しいところも見えるし。という話をしたら、みょんから、それは逆もしかりでという話をされて、「私」という女性目線を歌わせたいと言われたんですよね。エピソード自体は完全に自分の実体験、想像とか願いが多いんですけど(笑)、そんなことをしゃべり、みょんがその場で書いてという流れでした。
音楽活動しているなかで、周りから、「女性も共感できる曲を歌って」と言われることが多くて、そういうことに対しても、ちゃんと自分がエンタテインメントできれば(表現の幅が)広がるんじゃないかとも感じています。

とコメントしています。

サルー
サルー

確かに、男が歌う女の歌、女が歌う男の歌は、作品が中性的になる分、男女どちらの視点で見ても、共感性の高い楽曲に仕上がりますよね。

 

では、前置きはこの辺りにして、
本題の楽曲考察に移っていきましょう。

楽曲名「キスだけで」の意味・解釈

「キス」とは

唇を相手の頬・唇などに接触させ、
親愛・友愛・愛情などを示すこと。

という意味になっています。

サルー
サルー

誰もが共通して浮かぶ、愛情表現ですね。親愛、友愛を示す行動としても使われますが、本楽曲における「キス」は男女間の愛情を示すもので間違いないです。

また「だけで」という言葉は

分量や限度

を表す副助詞です。

 

つまり、二つの意味を統合した

「キスだけで」というタイトルは

口付けだけで、、、

という意味のほかに

キスが限度である状況

を示す意味も包括できるのです。

サルー
サルー

この二つの意味が楽曲の情景と密接に関与していきます。では、歌詞に迫っていきましょう。

歌詞

私今日は女だから 今日は女だから
きっと 抱きしめてもらえないでしょう
今日は女だから 今日は女だから
ずっと 溢れているでしょう

確かめなくても
湿ってく 揺らいでく
沈みたいの

キスだけでいけそうなの
傷だらけになるとしても
キスだけでここにきたの
やるせないね やる気ないね?

お前今日は女だから 今日は女だから
ちょっと 忍ばせているでしょう
お前今日も女だから 今日も女だから
そっと 触れていたい

待ち構えていても
歪んでく 乾いてく
急がなくちゃ

キスだけでいけそうなの?
傷つけてもかまわないの?
キスだけでここにきたの?
やるせないね 眠れないね

背中合わせの夜
心臓泣かせの夜
重なり合いたい気持ちをまたいで
抱きしめて
キスだけで

私今日は女だから お前今日は女だから
いつも女だから いつも女だから
今日も2人だから

作詞作曲:あいみょん

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歌詞の意味・解釈

1番

私今日は女だから 今日は女だから
きっと 抱きしめてもらえないでしょう
今日は女だから 今日は女だから
ずっと 溢れているでしょう

作詞作曲:あいみょん

本楽曲は繰り返し

「女だから」

という言葉が綴られていきます。

 

まず、着目すべきは「女」が何を指すのか。

後述されていく歌詞の表現・情景から

明らかになっていくのですが、

ズバリ!本楽曲における

「女」が指すものは「生理」です。

サルー
サルー

他の線も複数仮説を立てましたが、女=生理という仮説以上にしっくりくるものはありませんでした。「生理状態」のことを「女の子の日」といった表現をしますよね。

また、この仮説を通すと、身体を重ね合わせるのではなく、背中を合わせているMVの情景も腑に落ちてくると思います。

 

つまり、本楽曲で描かれるは

一線を超えられない男女の性愛です。

(ちなみに曲の終盤で綴られる「女だから」に限っては、別の意味を持つと考察しています。ここに関しては3番の解釈で記載しています。お楽しみに。)

 

生理だから、女性目線の歌詞では

抱きしめてもらえないでしょう

具体的な憶測が綴られており、

 

溢れているでしょう

という投げかけは、

男性の欲求を伺っているのです。

確かめなくても
湿ってく 揺らいでく
沈みたいの

作詞作曲:あいみょん

ここでは、キスをするだけで

  • 気分が高揚していく様子
  • 情欲的な気分が高まっていく様子

が描かれています。

 

“沈みたいの”というのは

「あなたの胸で沈みたいの」

というニュアンスを含み、

女の子の日だけど本当は重なり合いたい

という、女性視点の願望が垣間見えます。

サビ1

キスだけでいけそうなの
傷だらけになるとしても
キスだけでここにきたの
やるせないね やる気ないね?

作詞作曲:あいみょん

敢えて説明をする必要はないかも知れませんが、

性愛における「いく」というのは、

最大級の満足度や快感を得ること

を意味します。

 

本来であれば、これは男女の性行為の終着地点で感じるものです。つまり、

キスだけでいけそうなの

というのは、

キスだけで最大の快楽を得ることが出来る

という、彼に対する想いの密度が籠った言葉なのです。

 

しかし、自分は満足だとしても、
彼がどうかは分からないから

  • 傷だらけになるとしても
  • やるせないね やる気ないね?

とネガティブな言葉が綴られています。

しかし、それでも彼の近くに居たいから

キスだけでここにきた

のです。

サルー
サルー

女性パートでは、彼に対する愛情の大きさが最も伝わってきました。それに加えて彼に対する申し訳なさや、不安感もぽつりと綴られていましたね。

男性パートはどうなっていくのでしょうか。歌詞を追っていきます。

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2番

お前今日は女だから 今日は女だから
ちょっと 忍ばせているでしょう
お前今日も女だから 今日も女だから
そっと 触れていたい

待ち構えていても
歪んでく 乾いてく
急がなくちゃ

作詞作曲:あいみょん

忍ばせるとは、

目立たないように物事を行うこと。

彼は、いつもより謙虚で、
縮こまっている彼女の様子を見て、

「今日は女」だと感じている訳です。

 

それを察知した彼が感じることは

そっと 触れていたい

という、愛情に満ちた感情です。

サルー
サルー

微笑ましいことに、両者ともに愛情に満ち溢れているのが分かりますね。

 

男性は男性で

歪んでく 乾いてく
急がなくちゃ

と、彼女との関係が歪むのを恐れ、焦燥感を抱いています。

ここの「乾く」というのは、

女性側の性的興奮や欲求が冷めていくこと

を示しているのでしょう。

 

また「今日(も)女だから」という表現から

重なり合うことができない夜が続いている

ことがわかります。

これも男性が、焦燥感を感じてしまう要因の一つなのでしょう。

サルー
サルー

「急がなくちゃ」というのは、「身体を重ねることが愛情表現であるから、想いが冷める前に急がなくちゃ」という意を含むのでしょう。

サビ2

キスだけでいけそうなの?
傷つけてもかまわないの?
キスだけでここにきたの?
やるせないね 眠れないね

作詞作曲:あいみょん

サビ1で綴られた女性パートと、
対話するようにサビ2が展開されています。

 

またお互いに抱える

「やるせない感情」の意が深いです。

 

やるせないの元の意は

どこにも持って行きようがない

というスッキリしない感情を表現します。

 

普通の男女なら

最後まで、できないからやるせない

と率直に解釈ができるのですが

ここの歌詞に描かれている二人は違います。

 

愛情に満ちていて、
相手を気遣う二人の「やるせない」は

身体を重ねることが出来ないことによって、
相手の気持ちが沈静してしまうのではないか

という不安が起因しているのです。

サルー
サルー

同じ「やるせない」でも、言葉の裏に潜む愛情が違うのです。

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3番

背中合わせの夜
心臓泣かせの夜
重なり合いたい気持ちをまたいで
抱きしめて
キスだけで

作詞作曲:あいみょん

身体は重ね合わせることができず、

お互いが沈静するのを恐れているから

  1. 背中合わせの夜
  2. 心臓泣かせの夜

という言葉で、情景表現が成されています。

私今日は女だから お前今日は女だから
いつも女だから いつも女だから
今日も2人だから

作詞作曲:あいみょん

今までのように

「女だから」と綴られていきますが

「いつも女だから」の部分のみ解釈が異なります。

 

今までは、「女だから」という言葉は

「女の子の日だから」という、

二人の欲を制限する言葉

として使われていましたが、

 

最後の「いつも女だから」

「女性だから」というそのままの意味

で捉える必要があるのです。

 

つまり、

「今日は女だから、身体を重ね合わせることはできないけど、私は常に女性だから、いつでも身体を重ね合わせることが出来る」

というニュアンスを含むのです。

サルー
サルー

「いつも女だから」に加えて、「今日も2人だから」という歌詞が今後も長く愛を営んでいくであろう二人を連想させますね。

まとめ

菅田将暉×あいみょん

という奇跡のコラボから展開される

「キスだけで」

は、実体験が元になっているだけあって、
かなり現実味を帯びたものだったと思います。

しかし、こんなに生々しい歌詞なのに

この二人なら、いやらしくないのが凄い。

むしろ、美しさを感じました。

衝撃的な歌詞の実態は

美しくもリアルな男女の夜

が描かれていました。

時間がある方はこちらをどうぞ。

【菅田将暉/キスだけで feat. あいみょん】

歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)

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