父さん②
でも良いかい?中には
父さんのこの仕事を馬鹿にしたり
軽蔑したりする奴もいるんだ
だけど父さんは負けないよ
父さんは胸を張って生きている
求められるからやっている
父さんの仕事を
楽しみにしてる人のために頑張るよ
ここでも①のパートと同じように父さんが子供に自分の仕事について語っています。
述べられていることは事実です。
パパラッチが得た情報を、楽しみにしている人はいっぱいいます。
求められるから、その職業があるわけで、それに救われている人だってたくさんいるのです。
パパラッチとその子供の目線、更には有名人の立場も描くことのできる、野田さんの洞察力や経験値の高さを改めて思い知らされます。
野田洋二郎②
ハイハイ自分の仕事に自信を
持っているのは結構です
堂々と今日も胸を張って
生きててなによりです
じゃあ尾行がバレてカメラ向けられても
堂々と逃げず答えろや
カップルのふりで隣座って
ストーカーばりに盗み聞くな
ここでまた野田洋二郎の登場。
またもやバッサリ切っていきます。
胸を張って生きている
と言ったパパラッチに対し
なによりです。
と、かなり皮肉めいた対応。
カップルのふりで隣座って
ストーカーばりに盗み聞くな
なんて具体的過ぎて
え?実話?
とフィクションを疑っちゃいますね。
あくまで作り話なはずなのに。
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人間不信情報不信
頭がおかしくなりかけた
それでもさ 笑うのか?
あんたらにゃ何も伝わらんか
煽って報するテレビが悪い
こぞって食いつく世間が悪い
求められるからやっている
すごいね神様みたいだね
かなり滅入っていたようですね。
ここの部分自体は
本当にあった話なのかも知れません。
人間不信になった時期もあったのでしょう。
すごいね神様みたいだね
ここは特に野田さんらしい最上級の皮肉ですね。
あんたの僅かなマンマのために
世間の僅かな娯楽のために
抹殺された人々は
それでも生きていくんだから俺はやるべきことをやっている
君は恥ずべきことをやっている
恥ずかしくないと言うのなら
隠れず盗まず生きてろや
目を見て話が出来なくて
なにが堂々と生きてるだ
マンマとは、赤ちゃん言葉の「ご飯」を示す。
細かい部分に毒が込められた罵倒が続きます。
ここらで流れるMVのシーンは
野田洋二郎の首吊りシーンと
父さんが銃で頭を撃ち抜かれるシーン。
- 追い込まれた人間の自殺
- 追い込まれた人間の逆上
“これを、覚悟したうえで
仕事をやっているんだろうな?”
と言いたいのでしょうか。
そして
目を見て話が出来なくて
なにが堂々と生きてるだ
の部分。
実はここがMVのラストと関連しています。
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コメント
最初の本当は嫌だけどは宿題skitで分かるようにシンプルに嫌なのかと予想します
I RAZZ PAPAは100%狙っています。
razzの意味を滑り台のシーンで紹介かつ滑り台で父と子の立場が逆転しているところで表現していると思っています。
この歌って「君の名は。」を基にしたわけじゃなくて、「HINOMARU」がネットニュースにまでなったことでわざわざ「君の名は。」まで持ち出して取材をしてきた記者に対しての風刺では無いかとも取れると思います。
また、アルバム初回限定のDVDでもそれらしいこともチラッと洋次郎が話していましたしね…
真相は分かりませんが…
コメント失礼します。最後のお父さんのシーンですがカメラの視点的に子供の目線に一致してるような気がします。その時にお父さんを見ているとどうも目が合っているとは思えません(何か子供の向こうを見ているような?)。さらに動画だとわかりやすいのですが、お父さんはこのシーン口から上が全く動いていません。このことから、やはり自分の職業に後ろめたさをもち、堂々と生きられない人間である、というような洋次郎のメッセージではないかと考えます。
長文失礼しました!
おそらくこれは実話なのでしょう。しかし、「この物語はフィクションです」とかいている以上、RADWIMPS側はマスコミに批判されても「フィクション」という逃げ道(?)をつくることができます。たとえば、パパラッチ側が「立派な仕事だ!」と批判しても、「フィクションだよ?なんで作り話に批判をするの?」と言えてしまう、ということです。逃げ道をつくるのがどう感じるかは人それぞれですけれども、私はこれほどストレートな歌詞なのに曲名でフィクションとかいていることが、洋次郎らしくていいな、と思いました!
曲名のフィクションについて追加です。RADWIMPSだけに批判がくるのは別にいいのだと思います。しかし、歌詞にある通り、家族や交際相手にまで影響が出るのはRADWIMPSだけの問題ではありません。それを避けたのだと思います。
なんにしても、先ほどのコメントでは「逃げ道」と表現してしまいましたが、パパラッチ側に喧嘩を売っている、攻撃的な意味での「この物語はフィクションです」なのだと思います。