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【RADWIMPS/猫じゃらし】歌詞の意味を解釈!多幸感溢れる「幸せ」ナンバーを解説。

野田洋次郎が描く、幸せ溢れるナンバー!

【RADWIMPS(ラッドウィンプス)】「猫じゃらし」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔「幸せ」がテーマになっている楽曲意図
✔野田洋次郎が楽曲に込めた想い
✔細かいフレーズから溢れ出す日常愛

 

サルー
サルー

多幸感に包まれる幸せナンバーを深堀りしていきます。

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楽曲の基本情報

今回紹介していく「猫じゃらし」は「幸せの紅茶、午後の紅茶。」をテーマとした『キリン 午後の紅茶』のCMソングの為に書き下ろされた楽曲になります。

 

本楽曲が起用されているのは深田恭子がメインキャストを努める「きっと幸せは、さわれるくらい、そばにある。幸せの紅茶。」篇となっており、こちらでは家族や友人など大切な人と過ごす日常の中の様々な「幸せ」の瞬間が描かれています。

 

作詞作曲を努めた野田洋次郎のコメントが以下。

人間の「慣れる」力はすごいです。良いも悪いも。少しのキッカケでいつも通りの朝ごはんや、「おかえり」の声や、家までの帰り道が愛しく大事に思えたりします。この世界で楽しく生きるコツは、もしかしたら大それたことではなく、その小さな喜びに気づく才能なのかもしれません。あともう一つ、毎日一緒に過ごす「自分」という存在も、いつの間にか僕たちは知った気になって生きていることがあります。自分さえ知らない自分が、まだまだ隠れているかもしれません。そんな想いで作りました。

 

サルー
サルー

楽曲に込められた想いが感慨深く、そして温かいですね…

 

何気ない日々の幸せに気付く。

そんな幸せを得るための教訓が込められた歌詞に深く迫っていきたいと思います。とその前にまずは楽曲タイトル名に着目していきましょう。

楽曲名「猫じゃらし」とは

「猫じゃらし」とは

 エノコログサの別名

であり、誰もが想像できるであろう上写真の植物です。

 

一般用途としてはその名の通り、猫を喜ばせ、じゃらつかせる道具として扱われることが多いですよね。そのため本楽曲のタイトル名にはスキンシップの意愛情を育む意が込められているのではないかと筆者は考えています。

 

そうすると単体では解釈の難しい「猫じゃらし」も、「幸せ」をテーマに作られた楽曲、そのタイトル名として確固たるポジションを確立することができるのではと思います。

 

本楽曲のタイトル名が歌詞のメッセージ性とどのように関与してくるのでしょうか。

 

サルー
サルー

本題の歌詞を一緒に見ていきましょう!

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歌詞

この言葉ばかりに頼り切った日々が
名もない世界の鍵を閉めたんだ

明日の意味や色さえ3秒で
変わり続けるこんな僕なのに

いざ僕らで行こうぜ 「はじめまして」の今日へ
ドレスコードは君も知らない 君だけさ

僕らで行こうよ 半径「僕と君」の間に
何個真新しい今日を 描いてみようか

騒ぎたてるほど不幸じゃない毎日と
聖者になれるほど幸福じゃない毎日を

ある朝アラームに笑われた気がした
シャワーの音に憐れまれた気がした

いつか僕らで行こうぜ 君ん中へ行こうぜ
名前なんて一つも付いていないもんで できた世界へ

何百回だって いっそ何万回だって
はじめましての「ただいま」「おかえり」を言い合おうよ

触れるくらいの幸せ抱っこして
背負えるくらいの悲しみおんぶして

歩き続けてく日々でもたまに
名もない世界の鍵を開けようよ

いざ僕らで行こうぜ 「はじめまして」の今日へ
ドレスコードは君も知らない 君だけさ

僕らで行こうよ 半径「僕と君」の間に
何個真新しい今日を 描いてみようか

遥か遠くの彼方 ばっかりに憧れは
向かって行くけど それでも僕は

あなたっていう光が 放射状に放つ重力
に引っ張られて 今日もいるよ 君の横に

僕はいるよ

作詞:野田洋次郎

歌詞の意味・解釈

この言葉ばかりに頼り切った日々が
名もない世界の鍵を閉めたんだ

明日の意味や色さえ3秒で
変わり続けるこんな僕なのに

歌い出しから野田洋次郎の秀逸な比喩表現が光ります。

 

敢えて解釈幅を広くとれる言葉を起用しているのかと思いますが「名もない世界」というのは私たちが生きている実在する世界ではなく「人間の心」という決して目には見えない世界のことを示しているのではないかなと考えています。

 

そう仮説を立てると、

この言葉ばかりに頼り切った日々が
名もない世界の鍵を閉めたんだ

という歌い出しの一文は「言葉に頼りきったコミュニケーションが、人と人の心を繋げるきっかけを奪っている」といった皮肉なメッセージ性を持つのだと解釈することができます。

 

言葉を持ち、多彩なコミュニーションが取れるようになった私たちですが、言葉がない時代のジェスチャーコミュニケーションに比べると、心と心の交わし合いの情熱は減ってしまったのかも知れません。

 

またその後に続く2文も「言葉で解決できる故の苦悩」が描かれていることが分かりますね。

 

私たちは秒単位で変化し続けているはずなのに、言葉で表現せざるを得ないのです。

ありますよね、言葉で表現できない感情だったり状態だったりというのは。

 

サルー
サルー

誰もが共感できるけど、思いつかない部分。ハッとさせられちゃいますよね。

 

いざ僕らで行こうぜ 「はじめまして」の今日へ
ドレスコードは君も知らない 君だけさ

僕らで行こうよ 半径「僕と君」の間に
何個真新しい今日を 描いてみようか

ドレスコードとは、服装規定のことで社会の中のさまざまな場所と機会、また行事や催し物やパーティなどの場面で「当然これを着ないといけない」と思われる服装のことをいいます。

 

つまり「ドレスコードは君も知らない君だけさ」というのは「君にふさわしい服装は、君の知らない君(新しい君の一面)だよ」ということになります。

 

サルー
サルー

洋次郎さんがコメントしていた「自分さえ知らない自分」と重なる部分ですね。

 

伝えたいメッセージとしては「新鮮な自分を日々、描いていこう!」といったところですかね。

 

歌い出しの歌詞で「言葉で表現できてしまう世界」を憂いていたのは、決められた言葉で行うやり取りにマンネリ化を感じていたことの表れなのかも知れません。

 

半径「僕と君」の間に
何個真新しい今日を 描いてみようか

という意味深な歌詞も「君と僕を繋げている導線(心の繋がり)をよりいっそう新鮮味溢れるものとして楽しもう」といったメッセージを持つように解釈することができます。円の半径の実態は「線」ですからね。

 

サルー
サルー

何気ない『今日』という一日に新鮮味を覚えることができ、なおかつ一日の大切さも実感することができる秀逸的な歌詞。

 

触れるくらいの幸せ抱っこして
背負えるくらいの悲しみおんぶして

安心感に包まれる心に残るフレーズ。

 

「触れるくらいの幸せ抱っこして」というのは、毎日の中でありふれている「当たり前な幸せ」を抱きかかえること。その重要さと素敵さを改めて説いてくれています。

 

また反対に日常の中で起きてしまう「不幸」については「背負えるくらいの悲しみおんぶして」と、前文とは対照的なフレーズが綴られています。こちらは「どうしても日常の中で不幸は起きてしまうけど、それも愛情を持って抱えていこう」というメッセージがくみ取れる。

 

愛情を感じずにはいられないのは「悲しみ(不幸)」に対して「おんぶする」という動詞を起用する秀逸的言葉選びに起因しているのでしょう。単純に困難を乗り越える情景を綴った歌詞とはひと味もふた味も違います。

 

サルー
サルー

悲しみに対して書かれているのに、こんなにも「温かさ」を感じさせる。やはり作詞センスが半端じゃないです。

感想

いかがでしょうか。

 

野田洋次郎が歌詞に込めた『日常の幸せ』が十分に伝わってくるのではと思います。言葉で表現できない人間の温かさや冷たさ。それが抱っこやおんぶなどの触れ合いにはメッセージとして含まれていたのかなと。

 

多幸感に溢れる素敵なナンバーでした。

 

 

【RADWIMPS/猫じゃらし】

歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)

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コメント

  1. おさるの所 より:

    解釈は人それぞれかと思いますが、

    ・「背負えるくらいの悲しみおんぶして」の部分は、人は辛い過去や苦しい思い出みたいな悲しみを「背負って」生きてるけど、たくさんの悲しみで潰されてしまわないように「背負えるくらいの悲しみでいいんだよ」と表現しているのではないでしょうか。

    ・「ドレスコードは君の知らない君だけさ」は「ドレスコードを知らない」というより、ドレスコードは「君の知らない君(新しい君の一面)」だけ!っていう文脈では無いでしょうか。君の知らない君というのは、洋次郎さんのコメントにあった自分さえ知らない自分と同じような意味で、言わば「新しい自分の一面」と捉えれると思うのです。「いざ僕らで新しい世界に行こう、ドレスコードは新しい君だけさ」という解釈はいかがでしょうか?
    あくまで私の解釈ですが。

    • サルーサルー より:

      おさるの所さんコメントありがとうございます。

      かなり共感できる解釈です!
      特にドレスコードのくだりは洋次郎さんのコメントとも一致していて、納得深いです。

      実はコメントをくれた当時、記事が未完成状態で解釈不足が否めない状態でした…

      更新しましたので気づいたときにでも見ていただけたら幸いです…!

  2. 退職し5年たっても、職業「あこがれの専業主婦」と言っている齊木建子 より:

    食事の準備で心に余裕がないとき、テレビから流れてきた曲に持っていた包丁を置き、聞き入ってしまいました。それまでの気ぜわしい気持ちが消えて、温かい気持ちへと変わっていきました。

    コマーシャルを何度かきいているうちに、深田恭子さんの清々しさと歌詞が心にしみてきて、作詞作曲が朝ドラのエールで自然体で出演されている野田さんと知り、感心しました。

    「私もひいてみたい。」と、娘にパソコンで楽譜を出してもらい、ホコリのかぶったピアノを7年ぶりで、ひきはじめました。

    「久しぶりでぎこちないけど、頑張るぞ!」と。おかげさまで、「まだまだやれる!」って新鮮な気持ちがわいてきました。

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