【コメダワラ】の「bin」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。
✔ タイトル「bin」の深い意味
✔ 不運なヒロイン(?)の悲痛な嘆き
どうしようもない憂鬱を抱えた主人公の心情は、醜く腐ったものでした。是非最後までお読みください…!
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音楽ユニット「BIN」結成のきっかけ…?
今回紹介していく「bin」は作詞作曲をコメダワラ(元:猫アレルギー)さんが務めたエモーショナルなボカロ楽曲。
歌い手のyamaさんがcoverしたバージョンがTikTokを中心にSNSで人気を集め、多くの若者に親しまれる楽曲となりました。
cover.verが大きなバズを生んだので、原曲よりもそちらを聴いた方の方が多いのかもしれませんね。
音楽ユニット「BIN」を結成しました
よろしくお願いします pic.twitter.com/TmHRHE4SDP
— BIN (@bin_0001) March 13, 2019
この「bin」のcoverをきっかけに、コメダワラさんとyamaさんは絵師のWOOMAさんと共に音楽ユニット「BIN」を発足しています。
記事執筆時点で楽曲数は決して多くはありませんが、今大注目のアーティストです。
楽曲名「bin」とは
「bin」の公式動画では、楽曲終盤に「憫」という漢字がでかでかと表示されます。
このことから、「bin」というタイトルは「憫」の音読みをローマ字表記したものとみて間違いないでしょう。
「憫」は「気の毒に思う。憐れむ。」といった意味を持つ漢字。
「かわいそうなこと」を意味する「不憫」という熟語の形で使われることが多く、楽曲中でも「不憫」という歌詞が数回登場しています。
自ら「不運なヒロイン」を自称する主人公の生き方のことを指したタイトルであると考えられますね。
また、英単語「bin」の意味は「ゴミ箱」。
ダブルミーニング的に、あらゆる不幸を受け入れて生きる主人公を「bin」と表現しているのかもしれません。
この楽曲名が歌詞の内容とどう関与しているのでしょうか。
さっそく本題の歌詞を見ていきましょう。
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歌詞
残酷なことに幾許年化け物の姿を引きずって生きてた
生まれ変わるなら人並みの幸せを与えて下さいな…って
ずっと、ずっと地を這って砂を噛んで反吐を吐き続けて
不幸な自分に酔いしれてぶちまける歪みきった自己顕示欲出会い頭の正面衝突の様な不幸が私を襲う
悪いことなんて何もしてないけど
生きてること自体が罪なのかもな…
きっと、きっと未来は明るくて幸せなんだと
そんな妄想に逃げてたら現実に戻されて回りは敵で
悪夢に変わったあぁ…不憫な私の世界を嗤う化け物たちの群れは
醜く地を這って間抜けだな
不憫な私の心を壊せ愚か者達よ
何もかもが嫌になる前に右を向いて 左向いて前倣え
さぁ、周り向いて 同じ様に私を蹴飛ばす
お利口さんな生き方の為に犠牲になって案山子になって
泥をすするような人生もここで終わりにしようと息を巻いて
結局最後は何も出来ない不憫な私の世界を嗤う化け物たちの群れは
醜く地を這って間抜けだな
不運なヒロインを気取る馬鹿な私の心は
腐りきって酷く臭うあぁ…不憫な世界の顔を嗤う化け物たちの群れは
醜く地を這って間抜けだな
不憫なこの世界中を壊せ愚か者達よ
何もかもが嫌になる前に作詞:コメダワラ
歌詞の意味・解釈
1番
残酷なことに幾許年化け物の姿を引きずって生きてた
生まれ変わるなら人並みの幸せを与えて下さいな…って
ずっと、ずっと地を這って砂を噛んで反吐を吐き続けて
不幸な自分に酔いしれてぶちまける歪みきった自己顕示欲
楽曲の冒頭では、主人公の抱える憂いや生き方が語られています。
残酷なことに生まれてこの方、化け物の姿で生き続けてきた。
だから誰よりも理不尽に不幸にさらされ続けている。
そんなことを執拗に主張する主人公ですが、実際はそうやって不幸な運命を背負っている自分自身に酔いしれています。
そうしていれば、「悲劇のヒロイン」として周囲が憐れんでくれるはずだから。
「自己顕示欲」は「他者に自分を注目され、認められたい」という欲求のことですが、彼女の場合「私が不幸な運命を背負わされていることを知って同情してほしい」という幾分かねじ曲がった自己顕示欲を抱えています。
いかに自分が不憫な人生を歩まされてきたか。
地を這い砂を噛むような上手く行かない人生の中で、「可哀そうな自分」という立場を積極的に受け入れることで彼女は自分を保って生きたのです。
出会い頭の正面衝突の様な不幸が私を襲う
悪いことなんて何もしてないけど
生きてること自体が罪なのかもな…
きっと、きっと未来は明るくて幸せなんだと
そんな妄想に逃げてたら現実に戻されて回りは敵で
悪夢に変わった
悪いことなんか何もしてないのに避けようのない不幸が私を襲った。
生きていること自体が罪なのかもな。なんて私は可哀そうなんだ。
「そんな妄想に逃げてたら現実に戻されて回りは敵で 悪夢に変わった」
ここまでの歌詞でひたすらに彼女は自らの運命を嘆いてきましたが、ここでそれが全くの妄想であったことが告げられています。
「出会い頭の正面衝突の様な不幸」なんてのは彼女がいいように言っているだけで、実際は彼女の行動が招いた必然の出来事。
もちろん彼女は化け物の姿もしていないし、周囲を敵にまわすくらいの悪いことはしてきたはずです。本当はさして不幸な運命を背負わされているわけではないのです。
しかしながら、上手く行かない出来事の原因を全て過去の自分に求めていてはとても心が持ちません。愛されないことも、周りに味方がいないことも、自分のせいだなんてとても受け入れられない。
だから彼女はその全てを自分が生まれもった不幸な運命のせいにして、あくまで自分は何も悪くない「悲劇のヒロイン」を演じているのです。
しかし周囲は彼女が不憫な少女ではないことをわかっています。誰も彼女を可哀そうだからと憐れもうとはしません。
全部自分が悪い。誰も自分を認めてはくれない。
そんな現実世界は彼女にとってまさに「悪夢」なのです。
サビ1
あぁ…不憫な私の世界を嗤う化け物たちの群れは
醜く地を這って間抜けだな
不憫な私の心を壊せ愚か者達よ
何もかもが嫌になる前に
可哀そうな自分を嗤う人々。誰も私をわかってくれない。
ああ、なんて間抜けな奴らなんだろう。
ここでも主人公は「悲劇のヒロイン」としての自分を全うしています。
しかしその一方で、自分の人生を嗤う愚か者たちが私の心を壊すことを彼女は望んでいます。
「何もかもが嫌になる前に」
不憫な自分に酔いしれていたはずの彼女が、どうして今更心が壊されることを望んでいるのか。その理由はここからの歌詞で明らかになります。
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2番
右を向いて 左向いて前倣え
さぁ、周り向いて 同じ様に私を蹴飛ばす
お利口さんな生き方の為に犠牲になって案山子になって
泥をすするような人生もここで終わりにしようと息を巻いて
結局最後は何も出来ない
2番も当然のように不幸自慢からスタートします。
皆足並みそろえて誰かを否定する「お利口さんな生き方」の犠牲に私はなっている。
原因は全て間違った世の中の方にある。
そうやって自分を必死に守ろうとする主人公。
しかし「泥をすするような人生も…」からは、歌詞の雰囲気も曲調も明らかに異なっています。
「泥をすするような人生もここで終わりにしようと息を巻いて 結局最後は何も出来ない」
この歌詞が他の箇所と明らかに異なっているのは、不幸な人生が「ここで終わりにしよう」と思えば終わるものだと主人公が認めているところ。
そして不幸な人生を自ら終わらせようとしているところです。
不幸な自分の姿に酔いしれているはずなのに。
実は主人公だって、運命のせいにして「悲劇のヒロイン」を演じる自分にとっくに嫌気がさしています。
アルコールで酔いしれることと同じように、「悲劇のヒロイン」になることが一時的な解決にしかならないと彼女も痛いほどわかっているのです。
ただ自分の心を保てるだけで、残酷な現実は何も変わらないのですから。
それでも「結局最後は何もできない」。
この一時的な保身にこれまでずっとずっと頼り続けてきた以上、今更現実をすべて受け入れることなんかできるはずがありません。
彼女は酒に依存するように、「悲劇のヒロインとしての自分」から逃れることができないでいるのです。
サビ2
不憫な私の世界を嗤う化け物たちの群れは
醜く地を這って間抜けだな
不運なヒロインを気取る馬鹿な私の心は
腐りきって酷く臭う
不憫な私を嗤う周囲は間抜け。
でもそうやって「不運なヒロイン」を気取る自分の心はもっと腐り切っている。
醜くて臭くて、もう今更どうすることも出来ない。
ここではじめて自分の生き方を軽蔑した主人公。
「可哀そうな自分」に依存しきった彼女の人生に対する諦めにも近いような感情が、この歌詞から窺い知れます。
ラストサビ
あぁ…不憫な世界の顔を嗤う化け物たちの群れは
醜く地を這って間抜けだな
不憫なこの世界中を壊せ愚か者達よ
何もかもが嫌になる前に
「不憫なこの世界中を壊せ愚か者達よ」
1番でも「不憫な私の心を壊せ愚か者達よ」という歌詞がありました。
今更になって「不幸なヒロイン」としての自分から逃れられず、結局自分の力ではどうすることもできない主人公は、周囲の人々が自身の心を、そしてこの世界を破壊することを強く望んでいます。
「不憫な私の心を壊す」というのは、「自らを憐れむことをやめられない私の生き方を無理やり壊す」ことを意味しているし、「不憫なこの世界中を壊す」ことも「主人公の不幸なヒロインとしての世界観を壊す」ことだと言い換えることができるでしょう。
私の不憫な生き方を無理やり破壊してほしい。
そうすれば私はその瞬間まで私は「不幸なヒロイン」でいられる。
「生きてること自体が罪なのかもな」なんて思いながら、自らの非を一切受け入れることなく、このどうしようもない自分を変えることができる。
自分の力では不憫な自分を変えられない主人公は、悲劇的なクライマックスにより自分の生き方が変えられることを切望しているのです。
感想
「不憫な自分」に依存した生き方を辞められない少女の歌。
傍から見ている分には滑稽に映ることもあるかもしれませんが、いざその当事者になってみれば本当にどうすることも出来ないのかもしれません。
まさにアルコール依存症のように、「悲劇のヒロイン」としての自分がなければ精神を保てないのです。
【コメダワラ/bin】
歌詞の意味の解釈でした!
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