2番
背骨をなくした 大きな機械が
美しく 都市を跨いでいく
屋台は崩れ 照明が落ちる
観客は 白い眼
太陽さん
怪獣
2番Aメロは「世界が崩壊していく(舞台が台無しになっていく)様子」が描かれています。
またここで登場する「背骨をなくした 大きな機械」も昔の米津さんを匂わせるような内容であり、米津さんが描かれてきた「太陽さん(写真左)」「怪獣(写真右)」のような未来的機械兵器を想像しているのかなと思っています。
未知のものが世界を懐柔していく様子は、舞台(人生)がわりと簡単に綻んでしまうことを暗示しているように感じます。
列なす様に 演劇は続く
今も新たに 羊は迷う
堪うる限りに 歌を歌おう
フィルムは回り続けている
誰かの舞台(人生)が終わってもまた誰かの舞台(人生)がはじまっていく。
そして誰かはきっと迷える羊になる。
Bメロの前半2行で言いたいことは上記のようなことかなと。一人一人の人生を切り取ってみれば、単なるループでしかないのです。
しかし後半2行でその世界観はひっくり返る。
繰り返される人類史はループではなく繋ぎなのです。
迷える羊が量産されていく中で、誰かが未来に向かって愛を歌う。これだけで次のループに希望のバトンを託すことができるのです。
だからフィルムは回り続けている。巻き戻しと再生を繰り返している訳ではなく、常に「回り続けている」のです。
苦境の中で希望的な歌を歌う。サビの歌詞の真意がここで回収されていくのが凄い。
ラストサビ
「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよ ずっと」
未来に希望を託すため、主人公は愛を歌い続ける。
悲観的な状況になりそうなときこそ、同じ状況に陥りそうな誰かの気持ちを分かってあげることができる、救ってあげることができる。
寂しさや悲しさはそれを覚えることで、誰かを助ける希望の光にもなり得るのです。
千年後の未来には僕らは生きていない。だから繰り返される険しい人生ループの中で、現状を堪えて未来に愛を叫ぶ役が必要なのだ。
この劇の主人公は「ポップソングを作ることが自分の役目」と言う米津さん自身なのかも知れない。
感想
永遠と続いていくように思わせる果てしない人類の道を俯瞰的に見た、感慨深いナンバーだったなと。
これは『STRAY SHEEP』の他楽曲にも通じることですが、やはり米津さんの最近の楽曲からはとにかく人類愛のようなものが伝わってきます。
迷える羊たちが理想的な答え(人生)に辿り着くには、愛を持って迷いを制する他にないのかなと感じました。人と人との繋がりってやはり大切だ。
【米津玄師/迷える羊】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
ありがとうございます。疑問が解決しました‼
1000年先に想いを馳せる時、なぜ友達?自分の子孫じゃないんだ…
米津さん独身だから?友達が一番大切な存在なのかなーと解釈してました。
前世双子だったかもと思うような友人を心不全で亡くされていたんですネ。
だから「感電」の中でも「お前がどこかに消えた朝」のフレーズが…
『喪失と再生』がメインテーマのアルバムになった訳も納得です。
60さんコメントありがとうございます。
なるほどそこまで考えると、楽曲間やアルバムテーマとの相関性も見えてきますね。
納得させられます。