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【ずっと真夜中でいいのに。/彷徨い酔い温度】歌詞の意味を徹底解釈して考察!

解釈難易度が高い「ずとまよ楽曲」

今回はその中でも、ひときわ謎の深い

「彷徨い酔い温度」に着目して

歌詞の意味を徹底的に

考察および解説していきたいと思います。

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楽曲の基本情報

今回紹介する「彷徨い酔い温度」

アルバム「今は今で誓いは笑みで」 の収録曲。

夜のお祭りを想起させるような、
メロディーラインの背景には

皆と盆踊りをしたかった

というACAねさんの想いが込められているそうです。

以下が楽曲に対するコメント。

「盆踊りもしたくて」の前に綴られる作曲意図が意味深で、楽曲の全容がうっすらと見えてきますね。

今は今で上っ面に揺さぶられないで〰️
一部だけで全てだと決めつけられたり、ない事を一部にされるたりするの こわぁと思って…

 

歌詞の内容とどう関与していくのでしょか。

まずは、タイトルを見ていきましょう。

楽曲名「彷徨い酔い温度」とは

「彷徨う」「酔い」は同じような意味で

宛もなくふらふらしているさま。

を連想させる。

 

本楽曲における

「温度」の元の語は「音頭」

音頭という言葉を敢えて「温度」という漢字で表現することで、二つの言葉の意味を絶妙に交えさせているのです。

 

「温度」は、一般的に

暖かさ・冷たさ、などの体に感じる度合い。

を示します。

つまり「彷徨い酔い温度」

ふわふわしている主人公と
それを取り巻く空気感

を表現しているのです。

 

また「音頭」

多人数が歌につれて踊ること。

を意味する言葉で

盆踊りの雰囲気

そのものを示しているのです。

 

サルー
サルー

「彷徨い酔い温度」というタイトルは、主人公の情景表現を行いつつも「盆踊りもしたくて」というACAねさんの意欲も取り入れているという、欲張りなタイトルなのです。言葉遊びが面白い。

 

では、本題の歌詞に迫っていきましょう。

歌詞

夢かな 酔っ払った屋台に
悲しいまつげと影 ふわっと踊ってる
忙しない かげろう畑は
誰も思い出せぬような 問いが揺れてるから

誰かは 滝のように笑えば
頼りに堅い志は 距離も煮詰める
だらしない 汗のかいた ラムネが
太鼓の音に仕向けられて ぽっかり二番手さ

わからないままで いるから
確かめもしないで 全てにしないで
今すぐ逸らせるもんか
予想も届かない 言葉にかまわない
上っ面に揺さぶられたくないから ただ
凄いよ 篭って

恥ずかしい今に飛んでった僕は
まだ此処には たぶん いるみたい?
走らないで 怯えないで 転げそうな
病みに酔い痴れて やっと立ち上がろ
ワニになって 朱鷺になって
蟹になって 灰になってさ
完璧が つまらぬようにさ

くだらない と放って とばした
心に良かったのか なんて僕も思わないけど
形にすることで開いた火花に
答え合せをして ゆっくり手を振ろう

挨拶だけで いいから
確かめもしないで 眺めたりしないで
次に進みたいのさ
予想も届かない 言葉にかまわない
上っ面に揺さぶられたくないから ただ

恥ずかしい今に飛んでった僕は
まだ此処には たぶん いるみたい?
走らないで 怯えないで 転げそうな
病みに酔い痴れて やっと立ち上がろ
ワニになって 朱鷺になって
蟹になって 灰になってさ
完璧が つまらぬようにさ

薄暗い夏よ、どうか この目に寄りかかる
弱さ奪ってよ 少しだけ 浅はかな体温には
消えぬ意思が宿ってしまうよ

恥ずかしい夜に飛んでった僕は
まだ此処には たぶん いるみたい?
走らないで 怯えないで 転げそうな
闇に酔い痴れて やっと立ち上がろ
ワニになって 朱鷺になって
蟹になって 粉になってさ
いつの日か忘れてしまうのさ ラララ~

作詞:ACAね

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歌詞の意味・解釈

1番

夢かな 酔っ払った屋台に
悲しいまつげと影 ふわっと踊ってる
忙しない かげろう畑は
誰も思い出せぬような 問いが揺れてるから

作詞:ACAね

「彷徨い酔い」とタイトルにあるように

主人公は、酔ったようにフラフラしています。

 

悲しいまつげと影という表現から

泣いていた情景が連想される。

泣いた後のまつげは所々で束になって固まるため、普段よりも影を作るのです。

 

ここで「かげろう畑」という聞き慣れない言葉が出てくるのですが、ここの解釈は難易度が高い。

まず、平仮名で記載されている

「かげろう」は「陽炎」のことでしょう。

「蜻蛉」という、トンボの古名説も浮かびましたが、こちらの言葉も「陽炎」の立ちのぼるさまに似ているところが由来になっているため、意味を包括できると判断致しました。

 

陽炎とは、地面の上や,焚き火の上などを通して遠くを見たとき,遠方の物体が細かくゆれたり形がゆがんで見える現象のこと。

は、農耕地という意味以外では

領域や分野などの区画を表す言葉

として使われる。

意味を合算させると

「陽炎畑」というのは

歪んで見えて、区画すること

という意味を持つように解釈できる。

楽曲の作成意図に合わせて、
もっと分かりやすく言うと

歪んだ目線で、決めつけること

といったところでしょうか。

サルー
サルー
かなり捻った解釈ですが「一部だけで全てだと決めつけられるのがこわい」というACAねさんのコメントと関与してくるのです。

こうした「決めつけ」は、社会のどこにでもはびこっているから、かげろう畑という言葉の前に「忙しない」と言っているのでしょう。

そして、これを気にする主人公は他人の「決めつけ」に対して、言い返せない性格であることが読み取れます。

誰かは 滝のように笑えば
頼りに堅い志は 距離も煮詰める
だらしない 汗のかいた ラムネが
太鼓の音に仕向けられて ぽっかり二番手さ

作詞:ACAね

ここで描かれるは、

自分とは真反対の人間。それとの対比。

他人の予断に直接意見を言えない自分とは違い、満天の笑みで誰とでも打ち解けることが出来る人もいるのです。

そんな友好的な人間殻に篭っている自分を対比させて、劣等感を感じているのかも知れません。

 

2番手とは、勝負や地位などで、

優れた人や物の次に位置していること

を意味します。

わからないままで いるから
確かめもしないで 全てにしないで
今すぐ逸らせるもんか
予想も届かない 言葉にかまわない
上っ面に揺さぶられたくないから ただ
凄いよ 篭って

作詞:ACAね

ここはまさに

上っ面に揺さぶられないで

という楽曲メッセージが込められていますね。

 

篭るという言葉には

中に入ったまま出ないでいる。

という、安易に連想される意味以外に

力や感情が、そのものの内に含まれている

という意味があります。

サルー
サルー

篭りというと一見マイナスイメージを抱えてしまうかも知れません。しかし「凄い」という肯定文の後に続くことからも、ここの歌詞ではプラスイメージの解釈でいいと思います。表面から見えるものだけで、判断されるのが嫌で、内に秘めている素敵を見て欲しいから、篭っているのです。

サビ1

恥ずかしい今に飛んでった僕は
まだ此処には たぶん いるみたい?
走らないで 怯えないで 転げそうな
病みに酔い痴れて やっと立ち上がろ
ワニになって 朱鷺になって
蟹になって 灰になってさ
完璧が つまらぬようにさ

作詞:ACAね

恥ずかしい今に飛んでったというのは

嫌なことから逃げて酩酊した

といったニュアンスでしょう。

 

そして綴られる動物たち。

  • ワニ
  • 朱鷺

この動物間に関連性はありません。

次に歌詞で「灰」とあるように

色んな色が混ざりあう灰色(グレー)

を自分と対比させることで

人は曖昧(グレー)だから簡単には掴めない

と、表現しているのではないでしょうか。

サルー
サルー

「上っ面だけでは評価できないぞ」と。

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2番

くだらない と放って とばした
心に良かったのか なんて僕も思わないけど
形にすることで開いた火花に
答え合せをして ゆっくり手を振ろう

挨拶だけで いいから
確かめもしないで 眺めたりしないで
次に進みたいのさ
予想も届かない 言葉にかまわない
上っ面に揺さぶられたくないから ただ

作詞:ACAね

2番では、殻にこもっていた主人公とは一転して、他人との距離を詰めようとしています。

 

「くだらない」というのは、
過去の主人公のセリフでしょう。

心に良かったのかは 僕も分からない

とあるように、自分の吐いたセリフが良いこととは思っていません。

しかし、そう発したことで自分の

感情(火花)に気付くことが出来たのです。

歌詞中の

形にすることで開いた火花

がそれに当たります。

補足として、火花とは、

激しくぶつかって瞬間的に発する火

のこと。

つまり、主人公の反発心といったところです。

 

そのあとの歌詞に

答え合せをして ゆっくり手を振ろう

と続きますから

自分の中に生まれた反発心と向き合って、整理して、納得したうえで友好を深めていこう(手を振ろう)と前向きに考えていることが分かります。

<サビ2の解釈は割愛します>

3番

薄暗い夏よ、どうか この目に寄りかかる
弱さ奪ってよ 少しだけ 浅はかな体温には
消えぬ意思が宿ってしまうよ

作詞:ACAね

他人の評価で傷ついて、
気分が上がり下がりする自分を

浅はかな体温

と表現しているのでしょうか。

他人次第で心色は、暖色にも寒色にも変わるのです。

自分を持ってない=浅はか

 

しかし、そんな浅はかな自分の中にも、

消えぬ意思が生まれたのです。

ここの「意思」というのは、

上で述べた「火花」にあたる感情だと思います。

ラストサビ

恥ずかしい夜に飛んでった僕は
まだ此処には たぶん いるみたい?
走らないで 怯えないで 転げそうな
闇に酔い痴れて やっと立ち上がろ
ワニになって 朱鷺になって
蟹になって 粉になってさ
いつの日か忘れてしまうのさ ラララ~

作詞:ACAね

サビ1,2とほとんど同じですが

ラスト部分の灰が粉になり

いつの日か忘れてしまうのさ ラララ~

という陽気な音頭で締められます。

 

ここの「粉」「粉灰(こはい)」

のことを表しているのではないでしょうか?

魂魄(たましい)も粉灰にされて消し飛ばさるる~

という言葉があるように

ラストの文では

どうせいつかは魂になって、今抱えている悩みなんて忘れちゃうから、何も考えず踊ろう~

といったニュアンスを
含むのではないでしょうか。

サルー
サルー

上っ面評価に対する葛藤が描かれていた歌詞でしたが、ラストは盆踊りテイストで、楽天的に締められるのです。

感想

難解な歌詞が多いずとまよの中でも

本楽曲「彷徨い酔い温度」

とりわけ解釈の難易度が高かったように感じます。

 

随所に散らされた難しい言い回し。

受け取り方によって、
たくさんの解釈が生まれそうですね。

「ここは、こうじゃないか」

というのがあれば、
記事下でのコメント大歓迎です。

一緒に考えていきましょう(*’ω’*)

時間がある方はこちらのまとめをどうぞ。

【ずっと真夜中でいいのに。/彷徨い酔い温度】

歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)

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コメント

  1. ゆうと より:

    ワニ
    朱鷺
    カニ

    ・どれもi の音で韻を踏んでいる!
    ・どんどん生物の大きさは小さくなっていっている。この次の歌詞が「いつの日かは忘れてしまうのさ」つまり何もかも時と共に忘れてゆくと言うニュアンスでしょうか。

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