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【ヨルシカ/ノーチラス】歌詞の意味を解釈!まさかのエイミー目線!物語は核心へ。

エルマとエイミーの最初の歌。

【ヨルシカ】

「ノーチラス」について

MVと歌詞の意味を徹底的に

考察および解説していきたいと思います。

随所随所で胸が締め付けられます。

そして、結末はハッピーエンドだと信じています。

是非、最後までご覧ください。

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楽曲の基本情報

→Apple Musicでフル視聴する 

 

今回紹介する「ノーチラス」は、ヨルシカの第2弾アルバム「エルマ」の収録楽曲になっています。

 

このアルバムは前作「だから僕は音楽を辞めた」の主人公の青年(エイミー)から送られてきた手紙に影響を受けた女性、エルマが手がけたという設定の楽曲14曲が収められています。収録楽曲は以下。

 

01.車窓
02.憂一乗
03.夕凪、某、花惑い
04.雨とカプチーノ
05.湖の街
06.神様のダンス
07.雨晴るる
08.歩く
09.心に穴が空いた
10.森の教会
11.声
12.エイミー
13.海底、月明かり
14.ノーチラス

これらが「エルマ」に収録されている14曲なのですが、これらは全てエルマという女性(MVの女の子)目線で歌われています。

※本楽曲は少々特異的ですが。

 

また、ヨルシカのボーカルを努めるsuisさんは

とコメントしています。

 

収録されているのも最後であり、物語的にも結末をイメージさせる印象が強い本楽曲ですが、正体はまさかの「はじまりの曲」だったのです。何でもn-bunaさんがヨルシカとして最初に描いた作品だとか。

 

では、さっそく楽曲考察に移っていきます。

と言いたいところですが

エルマとエイミー(MVで登場する男の子)のストーリーを全く知らない。

という方の為に、最低限押さえておきたいエルマとエイミーにまつわるストーリーのポイントを紹介します。

 

  • エルマとエイミーは互いに想い合っていた
  • エルマとエイミーは一緒に音楽をしていた
  • 想い合いつつも二度と会えない状況にある

これらが「ノーチラス」より以前に発表された楽曲で分かっていたことになります。そして今回の衝撃的なMVで物語は核心に迫っていくのです。

 

では、さっそく楽曲考察に移っていきましょう。

楽曲名「ノーチラス」の意味

本来「ノーチラス」とは

ラテン語でオウムガイ。

という意味になっているのですが、これだけだと解釈できませんね。

実はオウムガイという言葉からは

オウムガイの生態の特徴をなぞって、

「ノーチラスな人々」

という言葉が生まれています。これは

ノーチラス(オウム貝)のように、気分が浮いたり沈んだり大変な思いをしている人びと。

という意味だそうです。

サルー
サルー

ハッとしますよね。一緒にいたときは幸せに満ちていたのに、離れてしまってからは憂鬱状態に陥ったエルマとエイミーの心情に重なってくるのです。

 

また小説に精通している方は

フランスのSF作家であるジュール・ヴェルヌの小説「海底二万里」の中に出てくる架空の潜水艦の艦名「ノーチラス号」を連想するのではないでしょうか?

実はタイトルの意味の本命はこっち。

このノーチラス号は上で述べたように「潜水艦」なのですが、「陸地との一切の交流を絶った海底探検の航海を続けている」と伝えられていました。

サルー
サルー

またも、ハッとさせられちゃいますよね。MV中、社会に絶望して海に沈み込んでいったエイミーの姿(ここは下記にて詳しく解説します)と重なるのです。

  1. オウムガイであるノーチラス
  2. 潜水艦であるノーチラス号

どちらをとっても本楽曲「ノーチラス」のストーリーと関連性が深そうですよね。

実はこれに関しては、作曲を手掛けた本人であるナブナさんがノーチラス号から引用していると述べています。

では、上記を踏まえたうえで、
本題の歌詞考察に移っていきます。

歌詞

時計が鳴ったからやっと眼を覚ました
昨日の風邪がちょっと嘘みたいだ
出かけようにも、あぁ、予報が雨模様だ
どうせ出ないのは夜が明けないから

喉が渇くとか、心が痛いとか、
人間の全部が邪魔してるんだよ

さよならの速さで顔を上げて、
いつかやっと夜が明けたら
もう眼を覚まして 見て
寝ぼけまなこの君を
何度だって描いているから

傘を出してやっと
外に出てみようと決めたはいいけど、
靴を捨てたんだっけ
裸足のままなんて度胸もある訳がないや
どうでもいいかな 何がしたいんだろう

夕飯はどうしよう
晴れたら外に出よう
人間なんてさ見たくもないけど

このままの速さで今日を泳いで、
君にやっと手が触れたら
もう目を覚まして 見て
寝ぼけまなこの君を
忘れたって覚えているから

丘の前には君がいて随分久しいね
って笑いながら顔を寄せて
さぁ、二人で行こうって言うんだ

ラップランドの納屋の下
ガムラスタンの古通り
夏草が邪魔をする

このままの速さで今日を泳いで、
君にやって手が触れたら
もう眼を覚まして
見て、君を忘れた僕を

さよならの速さで顔を上げて
いつかやっと夜が明けたら
もう目を覚まして
見て、寝ぼけまなこの君を
何度だって描いているから

作詞作曲:n-buna

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歌詞の意味・解釈

前提として

楽曲の基本情報の欄でも述べたように、「ノーチラス」が収録されている「エルマ」というアルバムは、それこそまさにエルマ目線の楽曲が収録されています。

しかし、本楽曲は違います。

MVの情景で明らかになりましたが、本楽曲に至ってはエイミーが送った手紙そのものが歌詞になっているのです。

そのため本楽曲は「エルマ」収録曲でありながら

エイミー目線の楽曲

ということになります。

サルー
サルー

ここを理解しているかどうかで見方は180°変わってきますからね。それではお待たせ致しました。本題の歌詞考察に移っていきましょう。

1番

時計が鳴ったからやっと眼を覚ました
昨日の風邪がちょっと嘘みたいだ
出かけようにも、あぁ、予報が雨模様だ
どうせ出ないのは夜が明けないから

作詞作曲:n-buna

冒頭は、主人公を取り巻く「気だるい空気感」が伝わる情景表現で構成されている。

「朝」という言葉は一切綴られていないのに、主人公エイミーは紛れもなく憂鬱な朝の中にいることが分かる。「時計」や「昨日の風邪」という具体的情景表現が素晴らしいですね。

また、予報の雨模様というのは、実際の天気と主人公エイミーの心情を文字通り比喩しているのだが、夜が明けないという文は少し違う。実際に夜が明けないことはない。しかしこういった表現をすることで「どんなに時間が経っても晴れない心」を表しているのです。

サルー
サルー

小説のように綴られていくテクニカルな冒頭から、エイミーの悲しみや億劫がビシバシと伝わってきますね。

喉が渇くとか、心が痛いとか、
人間の全部が邪魔してるんだよ

作詞作曲:n-buna

上で「やっと眼を覚ました」という表現があるように、主人公は暗闇の中にいる眠り状態から早く解放されたかったことが分かります。

しかし、せっかく目を覚ましたとしても目の前にあるのは、変えようのない現実だけです。そのせいで「喉が渇く」「心が痛い」など主人公は苦しむ羽目になってしまうのです。

喉が渇く

という表現からは

  • 憂鬱の中でも生を渇望している皮肉な本能
  • 水分をたくさん排出したこと(泣いたこと)

が分かります。

サルー
サルー

言うならば「痛み」も身体を守るための防衛本能です。MVの結末を分かっているいま「喉が渇く」「心が痛い」に対する「邪魔してるんだよ」は、身動きがとれないという意味に加えて、消えてなくなろうとすることを邪魔してるんだよという意味も包括しているような気もします。
つまり、この時点でエイミーの中の生死の葛藤は繰り広げられているということです。

サビ1

さよならの速さで顔を上げて、
いつかやっと夜が明けたら
もう眼を覚まして 見て
寝ぼけまなこの君を
何度だって描いているから

作詞作曲:n-buna

「さよなら」という言葉から展開されるサビになりますが、このお別れを意味する「さよなら」こそが、冒頭から一貫して漂っている憂鬱の正体です。

ファンの方は既にご理解かと思われますが

エイミーの憂鬱の正体はエルマの喪失

であり、「さよなら」の相手は言うまでもなく「エルマ」になります。

このサビからは

どんなに離れていてもずっと見守っている

という純粋な愛情が伝わってきますが、MVと照らし合わせることで、さらに心を揺さぶられます。

ここはラストサビにて。

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2番

傘を出してやっと
外に出てみようと決めたはいいけど、
靴を捨てたんだっけ
裸足のままなんて度胸もある訳がないや
どうでもいいかな 何がしたいんだろう

作詞作曲:n-buna

MVのストーリーはここから始まる。

心の雨に負けて、引きこもっていたエイミーでしたが、ここでとうとう心を晴らそうとします。

しかし、外に出ようとするにも肝心な靴がありません。

ここの部分が何を意味しているのかというと、

それは、エイミーな虚弱な心です。

これを結びつけるためには

靴=防具(守ってくれるもの)

という捉え方をする必要があります。

靴がないということは、自分を守ってくれる鎧がないことと同義なのです。

エルマがいなくなったことで、荒んでしまったエイミーの心は鎧を持たない裸同然の状態。

決して、刺激の多い外に出れる状態ではありません。

サルー
サルー

ズタボロになってしまっている心情が読み取れますね。しかし、それでも外に出ようとするのは、「エルマのいない世界でも前を向こう」と精一杯の葛藤をしているからです。健気な心に胸が痛い。

夕飯はどうしよう
晴れたら外に出よう
人間なんてさ見たくもないけど

作詞作曲:n-buna

「晴れたら外に出よう」

の外に出た情景がMVでは描かれています。

ここもファンであるなら胸を打たれるポイント。

路上で弾き語りをしているのです。まるで共に音楽をしていたエルマを想起しようと言わんばかりに。

がらんどうの心が夕陽の街を歩いてく

とあるような、別楽曲「夜紛い」の歌詞こそが2番のBメロの情景にあたるのでしょう。

そして、弾き語りという魂の叫びを続けるエイミーですが、切なさ、苦しさの中で叫んだ声は誰にも届きません。

それどころか蔑むような見られるばかり。

人間なんてさ見たくもないけど

という

人間否定の歌詞とMVの心情が重なります。

ヨルシカの別楽曲「踊ろうぜ」にて

嗚呼、人間なんて辞めたいな
そうだろ、面白くも何にもないだろ
嗚呼、自慢のギターを見せびらかした
あの日の自分を潰してやりたいよ

という歌詞がありますが、ここの部分はまさにMVの男性に蔑まれた際のエイミーの心情が描かれているのでしょう。

サビ2

このままの速さで今日を泳いで、
君にやっと手が触れたら
もう目を覚まして 見て
寝ぼけまなこの君を
忘れたって覚えているから

作詞作曲:n-buna

「このままの速さ」というのは

憂鬱の中でぼんやりゆっくりと今日を生きていくエイミー自身を映しています。

つまり

この辛すぎる日々の中でも、じっくりと耐えていると、その先には君に会えるかもしれない。

という希望が描かれているのです。

たとえその希望が幻想だったとしても、エルマに触れる瞬間を何時でも祈っているのです。

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3番

丘の前には君がいて随分久しいね
って笑いながら顔を寄せて
さぁ、二人で行こうって言うんだ

ラップランドの納屋の下
ガムラスタンの古通り
夏草が邪魔をする

作詞作曲:n-buna

その祈りが3番で描かれています。

二人が再開したときを夢に見ているのです。

「ラップランド」「ガムラスタン」など全て主人公が旅を続けてきたスウェーデンの描写です。

サルー
サルー

ここは本当に切なすぎる。

ラストサビ

このままの速さで今日を泳いで、
君にやって手が触れたら
もう眼を覚まして
見て、君を忘れた僕を

作詞作曲:n-buna

ここでストーリーは急展開を迎える。

なんとエイミーが花緑青色の塗料を呑んで、海に飛び込むのです。

MVであるように

花緑青=毒性の人口塗料

つまり、自ら命を絶ったわけです。

別楽曲「五月は花緑青の窓辺から」

さようなら
青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ

とありましたが、まさにここの伏線が隠されていたとは、、、

エルマのいない日々に耐えられなかったのですね。この結末は辛すぎる。

またMVでは、上空から下を眺めるもう一人のエイミーが描写されています。

この乗っている乗り物こそが「ノーチラス号」。この二人の主人公が何を意味すのかは難解な部分ではありましたが私個人の意見としては

エルマに手紙を残せ。

という暗示だったのではないかと考えております。

命を絶とうと葛藤をしていた下界のエイミーは、ノーチラス号に乗っている架空の自分を見て、「ノーチラス」という手紙のタイトルを書き、手紙を残すという行動を取るのです。おさらいですが、ノーチラス号とは、架空の潜水艦を言う。

サルー
サルー

つまりノーチラス号の自分は架空の幻。

さよならの速さで顔を上げて
いつかやっと夜が明けたら
もう目を覚まして
見て、寝ぼけまなこの君を
何度だって描いているから

作詞作曲:n-buna

時が経ち、エルマはエイミーの行動を知る。

現実を知り、泣き崩れるエルマですが、ここで描かれる歌詞のテクニックが凄い。

内容はサビ1とほとんど同じであるはずなのに、エイミーの憂鬱を謳った内容とは違った意味で聴こえてくるのです。

「顔を上げて」「目を覚まして」も全ては、エルマに対する励ましの言葉のように感じる。

顔を上げたときの、この美しい夕日こそがエイミーだとすると、彼はいつ来るのかも分からないエルマをずっと待ち続けていたということになります。またエルマに出会えたことで「夜が明けた」という希望も掛けられているのでしょう。

いつ来るかも分からないエルマを待ち焦がれている姿は、海底体験の旅を永遠と続けている「ノーチラス号」と重なる。

「エルマと再会したい」

そんなエイミーの切実の願いは、最後の最後で叶ったのです。

感想

こんなにも心を揺さぶられたのはいつ以来でしょうか。

  • エイミー作詞
  • エルマ作曲

の「ノーチラス」。

もしかすると、この歌は夕陽を眺めたあと、エルマが作曲してあの場で歌ったのかも知れません。

そう考えると更にグッときますよね。

鳥肌モノのストーリーをありがとうございました。

【ヨルシカ/ノーチラス】

MVと歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)

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コメント

  1. 名無し より:

    やばいめっちゃ泣ける
    MV何回も見てしまった

  2. 匿名 より:

    めちゃくちゃわかりやすかった。
    夜しか深い。

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