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【くじら/金木犀】歌詞の意味を徹底解釈!キンモクセイの花言葉に注目して解説。

【くじら】「金木犀」について、難解な歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

読みどころ

✔歌詞と重なる金木犀の花言葉
✔実は花言葉には怖い意味も…?
✔失恋後のあなたの胸に響く歌詞

 

サルー
サルー

原曲もさながら「feat.Ado」の中毒性がほんとに高い。ただ、病みつきになるのはメロディーや歌声だけではありませんでした。

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歌詞

今になって答え合わせ
そんなのどうでも良くて
憂いの波は寄せては返す

落ちてた吸殻はいて
地面に這った記憶を拾い集めてる

味のないクッキーコインランドリー
バカみたいなハンバーガー
落書きだらけの排気管
胸が苦しい さよなら
つり革を握ってるあなたの手は
温もりを忘れた

夕暮れに置いてかないで
レコードが回るあの日を
空は揺らいだ幸せな生活も
金木犀の匂いも私もこのままもう一回
さよなら

窮屈な窓辺の端に空いた半透明
遠い誰かが私を照らしてる
埋まんない穴どうしよう
なんて踏切は今日も泣いてた
そんな気がした

夕暮れに置いてかないで
レコードが回るあの日を
空は揺らいだ幸せな生活も
金木犀の匂いも私もこのまま
もういっか、さよなら

作詞:くじら

描かれるのは失恋後の無気力感

→Apple Musicでフル視聴する

 

「金木犀」はボカロプロデューサーの「くじら」が2019年12月16日に「Flower」「Ado」の2パターンでYouTube上に公開した楽曲。

 

歌詞では「大切な人と別れた後の無気力感」が描かれており、ボーカロイドFowerの無機質な歌声も、Adoの力強さと切なさが混じった歌声も、それぞれの形でリスナーの心を貫いていく。

 

サルー
サルー

どちらも素晴らしい作品です。楽曲自体は2:20しかないのに、信じられないくらい密度が高い。

 

ではさっそく本題の楽曲考察に移っていきましょう。まずは花名で形成されたタイトルに着目していきます。これまた奥ゆかしいものでした。

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楽曲名「金木犀」とは

「金木犀」とは

モクセイ科モクセイ属の常緑小高木樹。

秋の路道で甘く芳しい香りを放つオレンジの花です。上の図の花ですね。少し肌寒いくらいの時期に咲きます。

 

ただ気になるのが何が奥ゆかしいのかということですが、ズバリそれは金木犀の花言葉です。

 

金木犀の花言葉
  • 初恋
  • 陶酔
  • 謙虚
  • 真実
  • 変わらぬ魅力

いかがでしょうか。何度も楽曲を視聴している方ならピンと来るかもしれませんが、楽曲主人公と重なり合う部分が非常に多いのです。

 

それともう一つ。金木犀には「隠世(かくりよ)」という怖い花言葉も存在します。これは「幽世」とも書くことができ、死後の世界を意味します。

 

こう考えると「失恋」ではなく「死別」の線で歌詞を読み取っていくこともできる。

 

しかしそれではあまりにも残酷すぎるので本記事では「失恋による別れ」を描いていると仮定し考察を進めていきます。(どちらも歌詞に合いますが失恋の方がしっくりきました)

 

サルー
サルー

ではお待たせしました。本題の歌詞を細かく見ていきましょう。

歌詞の意味・解釈

1番

今になって答え合わせ
そんなのどうでも良くて
憂いの波は寄せては返す

落ちてた吸殻はいて
地面に這った記憶を拾い集めてる

主人公は部屋でうなだれ、離れ離れになってしまった君を回想している。

「答え合わせ」は、何がいけなかったのか、何が原因でこうなってしまったのか、を自答している様子を表しているのでしょう。

 

しかしいくら答え合わせをしたところで君が戻ってくるわけではない。現状は変えられないのだ。だから「そんなのどうでも良くて」と無理やりポジティブに流そうとする。流すしかない。

 

でも悲しみが消えることはなく、気づけばまた答え合わせに戻っている。その情景を考えると「憂いの波は寄せては返す」という歌詞が非常に絶妙な表現だと分かる。

 

花言葉の「真実」「変わらぬ魅力」が悔しくも当てはまってしまう歌い出しです。

 

誰しもが無意識に行うであろう「後悔の振り返り」を答え合わせと表す点は、歌い出しながらも詞のセンスを感じさせられる。

 

サルー
サルー

悲しみと前向きの繰り返し。かなり共感できる点が多いのではないでしょうか。また吸殻記憶を対比させた後半の儚い歌詞も秀逸的。

味のないクッキーコインランドリー
バカみたいなハンバーガー
落書きだらけの排気管
胸が苦しい さよなら
つり革を握ってるあなたの手は
温もりを忘れた

上二文の歌詞は意味の深さというよりは語呂の良さを重視して横文字を並べているのでしょう。

 

ただ、甘い食べ物の味を感じていない様子楽天的イメージが強い食べ物に対して「バカ」と言っている様子から、直接的な言葉はないのに廃れ具合が伝わってくる。

 

そして主人公の感情を景色表現で間接的に伝えた後に「胸が苦しい さよなら」という直接的な歌詞が謳われる。感情が読めなかったリスナーも「あ…」と切なさを感じる。やはり歌詞表現が巧みだ。

 

また「つり革を握っている」は具体的な情景は読めませんが「私の手を握っていない」という紛れもない真実を表しているのだと思います。

 

君に触れられていないから私は「温もりを忘れた」のです。

サビ1

夕暮れに置いてかないで
レコードが回るあの日を
空は揺らいだ幸せな生活も
金木犀の匂いも私もこのままもう一回
さよなら

夕日は時間が進むともに山に沈んでいきます。それを夕暮れと言う。

 

つまり「夕暮れに置いていかないで」とは「私を置いて明日に進まないで」という解釈ができる。主人公の記憶の中で君は変わらぬ魅力(金木犀の花言葉)を放ち続けており、今もなお過去になんかできていないのです。

 

そのため「レコードが回るあの日を」「幸せな生活も」と、君との思い出が歌詞として無造作に羅列されている。

 

サルー
サルー

切ない…

 

とは言っても、いつまでも君を想い続けても自分が疲弊していくだけだと分かっているから、一度目ではない、もう一回目のさよならを記憶の中の君とするのです。

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2番

窮屈な窓辺の端に空いた半透明
遠い誰かが私を照らしてる
埋まんない穴どうしよう
なんて踏切は今日も泣いてた
そんな気がした

2番では圧倒的な孤独感が描かれている。

まず「窮屈な窓辺に空いた半透明」は、君がいたはずの場所を示しており、いなくなったことで空いた隙間に対して寂しさを感じていることが読み取れる。

 

そして「遠い誰か」とは、いつか自分の前に現れるであろう未来の運命の人を喩えているのでしょう。君が消えたことで心にぽっかりと空いてしまった穴(愛情)を他の誰かに求めることで救われようとしているのです。

 

また「踏切は泣いてた」と絶妙な形で擬人法が使われているのですが、実は踏切には思い切って事を起こすことといった動詞的な意味もあります。

 

つまり本歌詞での踏切は一つ上の文の他の誰かを求めることにかかっていて、それは心にもないことだから「泣いていた」という表現が繋がっているのだと思います。

 

サルー
サルー

深読みすればしっかり意味が伝わってきますね。

ラストサビ

夕暮れに置いてかないで
レコードが回るあの日を
空は揺らいだ幸せな生活も
金木犀の匂いも私もこのまま
もういっか、さよなら

ラストサビでもサビ1と同じように、君がいたときのことを回想してしまうどうしようもない情景が描かれています。

 

しかしラスト一文の小さな変化で救われた気持ちになりました。

 

なんと最後は「もう一回、さよなら」「もういっか、さよなら」に変わっているのです。これは何度もさよならを繰り返した主人公が、ようやく吹っ切れたことを示しているのだと思います。

 

寄せては返す憂鬱の波からようやく解放されつつあるのです。最後の最後で、前向きになれること、どんな苦しみも時間が解決してくれることを見せてくれたのです。

感想

いかがでしょうか。

一方的な別れを経験した人にとって、主人公の心情はかなり共感できるものだったのではと思います。

 

それにしても花言葉の

  • 初恋
  • 陶酔
  • 謙虚
  • 真実
  • 変わらぬ魅力

どれをとっても主人公の心情に当てはまりますね。解釈してみると「金木犀」というタイトルの起用に、改めて「くじら」さんの洒脱なセンスが垣間見えます。

 

くじらさんの楽曲は他楽曲も考察していますので時間がある方はぜひご覧ください。

 

 

【くじら/金木犀】

歌詞の意味の解釈でした!(‘ω’)

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コメント

  1. 通りすがりのチョコ より:

    ありがとうございます。とても分かりやすい解説でした!しかし私には「もういっか、さよなら。」はどうしても悲しい意味に聞こえてしまいます。歌詞につり革や踏切があるように駅のホームから電車に落ちてしまったのではないかと考えてしまいます。ですか、ポジティブに考えた方がいいですね!解説助かりました!改めてありがとうございました。

    • サルーサルー より:

      コメントをありがとうございます。
      その線かなり面白いですね。幽世という隠された花言葉ともマッチしていますし。

  2. 名無し より:

    「もう一回、さよなら」は自分を奮い立たせる感じ、「もういっか、さよなら」はあきらめの感じがします。いつも踏切の音が泣いているように感じていた自分が、喪失感の苦しさから逃れたくて、ふっと踏切に吸い込まれていったと想像しました。最後の「さよなら」がアカペラだったのも悲しい最期を思わせます。

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