これも⼤衆的恋愛でしょ
それは最終的な答えだよ
僕らだんだんとズレていったの
それもただよくある聴き慣れたストーリーだ
あんなに輝いていた⽇々にすら
埃は積もっていくんだ
見え隠れする「圧倒的な虚しさ」が心に刺さるBメロ。
二人で刻んできた時間は二人だけのものだし、二人にしかわからないキラキラした思い出に溢れていた。
しかし別れてしまった今では、ある意味「ありきたりな恋愛(大衆的恋愛)をした二人」に収束してしまう。少なくとも他者から見た自分たちはきっとそう見える。
大好きな人と別れた後には「大切な思い出が遠のいていく瞬間」というものがあるのではないでしょうか。
ここの歌詞で描かれているのはまさにその瞬間的な虚しさ。
3番
分かり合えないことなんてさ
幾らでもあるんだきっと
全てを許し合えるわけじゃないから
ただ、優しさの⽇々を
⾟い⽇々と感じてしまったのなら
戻れないから
3番では「戻れない関係に悔やむ心情」がダイレクトに綴られています。
どんなに同じ時間を共にして、同じ経験を味わってきた二人も、あくまでも個と個から成り立っています。
MVでもこのタイミングでは二人が各々の時間を過ごす場面が描写されていましたが、やはり「同じではない」ことを意味していたのではないのかなと考えています。
つまり「同じではない」からこそ、分かり合えない部分や許し合えない部分が生まれてしまうのは当たり前なんだと。
これをさらに許容し合うことで、折り合いを見つけて分かり合うことができるのかも知れませんが、二人はそれができなかった。辛い日々だと感じるようになってしまったのです。
個人的に、優しさの⽇々を⾟い⽇々と感じてしまったのならという含みのあるフレーズが心にぶっ刺さりました、、、
ラストサビ
それでも何回だってきっと
そう何年だってきっと
始まりに戻ることが出来たなら
なんて、思ってしまうよ
「おかえり」
届かず零れた⾔葉に
笑った少し冷えた朝だ
一見サビ1やサビ2と似たように見えるラストサビですが、込められている想いはかなり違ってきます。ラストサビの方が圧倒的な切なさを抱えた主人公の心情が素直に綴られています。
これまでは
- 「さよならとともに終わるだけ、仕方ない」
と今の悲しみから目を背けていただけでしたが、
ラストサビでは
- 「何年先も始まりに戻れたら…と思ってしまうよ」
と悲しみを受け止めたうえで、失ってしまった愛心の大きさを実感しているのです。
主人公の最後の笑みは、やっと気付けた大切なものと、もう手遅れだからどうしようもない気持ちが混ざり合って、やるせない気持ちが生み出したのでしょう。
「たぶん」どっちが悪いのかも分からないまま終わってしまった恋愛には、実は確実に育っていた愛心があったのです。
感想
情景は人それぞれ違えど、時間とともに蝕まれていく恋心、そして失って気付く優しい日々には共感できる部分が多々あったのではないでしょうか。
恋から始まった二人が本当の意味で永く付き合っていくためには、分かり合えない部分をさらに許容し合って、優しい日々を客観的に実感する必要があるのだなと感じさせられました。
補足ですがYOASOBIの楽曲は、最新曲から過去曲まで全てをAppleMusicなどの定額性音楽サービスで視聴することができます。無料期間もありますし、色んな楽曲に触れたい方にはかなりおすすめのサービスです。(筆者も利用しています)
【YOASOBI/たぶん】
MVと歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
今回のこの歌詞はまさに今の自分と重なってしまい共感すると共に辛いです。
日々のちょっとした心のすれ違いが…そのわかり合えない部分をお互いに許容し合っていれば何かが違っていたかもしれない。ただ自分達がその渦中にいると客観的に見ることは困難だと思う。冷静さを失いますよね。
そしてなくしてから気づく大切なもの…前のようには戻れないもどかしさ…お互いが嫌いになって別れた方がどんなに楽か…これでは未練が募るばかりになってしまいますよね。
正直辛いです。
今回の記事考察を拝見してちゃんと受け止めなきゃってゆう気持ちも見えてきました。
ありがとうございます。
koiさんコメントありがとうございます。
まさに…!というタイミングでこの歌を聴いちゃうと、さすがに感極まってしまいますよね。共感致します。
拙い考察記事ですが、前向きな気持ちになるための一助になれたのであれば嬉しく思います。
YOASOBIの中で1番好きな曲です❤️
失恋ソングか、。、。、