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【King Gnu/三文小説】歌詞の意味を徹底解釈!魂を揺さぶる史上最強の人間讃歌

【King Gnu】「三文小説」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✔ ドラマのストーリーとの繋がり

✔ 過去の楽曲から変わらないスタンス

✔ King Gnuの圧倒的な世界観

 

骨助
骨助

壮大なスケールで描かれる圧巻の人間讃歌。是非最後までお読みください…!

 

 

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ドラマ『35歳の少女』主題歌

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今回紹介していく「三文小説」はKing Gnuが土曜ドラマ『35歳の少女』主題歌として書き下ろした楽曲です。

 

『35歳の少女』は柴咲コウ主演のドラマで、10歳で不慮の事故により昏睡状態に陥った少女が25年の時を経て目覚め、全てが変わった世界と向き合っていくというシリアスな設定の物語。

主題歌「三文小説」はドラマのストーリーとリンクした内容になっていて、歳を重ねることで湧き上がってくる感情にフォーカスした楽曲とのことです。

 

作詞・作曲を担当した常田大希さんは楽曲について、

2020年、我々King Gnuはアルバム『Ceremony』をリリースして以降、一曲たりとも新曲をリリースせずに、じっくりと自分達の生き方を見つめ直してきました。そんな中でこの『35歳の少女』という素敵な作品と巡り合いまた新たな一歩を踏み出す訳です。ご期待ください。

とコメントされています。

 

King Gnuの新曲発表は2020年1月の『Ceremony』以来およそ9か月ぶりで、ドラマ主題歌の提供は2019年の『白日』(『イノセンス 冤罪弁護士』)に続いて2度目です。

 

楽曲名「三文小説」とは

「三文小説」とは、低級な小説を軽蔑して指す言葉

 

「文」とは江戸時代の通貨単位で、現在の価値に置き換えると一文がおよそ12円とのことです。

「三文~」となると「たかだか三文ほどの価値しかない~」といった意味になります。

三十円程度の価値しかない小説。読むに堪えないものなのかもしれません。

 

今回の楽曲中では、楽曲の主人公達の人生が「三文小説」と表現されています。

要は傍から見れば何の面白みもない、愚かな人生であるということです。

 

骨助
骨助

タイトルについて確認したところで、本題の歌詞を見ていきましょう…!

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歌詞

この世界の誰もが
君を忘れ去っても
随分老けたねって
今日も隣で笑うから

怯えなくて良いんだよ
そのままの君で良いんだよ
増えた皺の数を隣で数えながら

僕らの人生が
三文小説だとしても
投げ売る気は無いね
何度でも書き直すよ

誰もが愛任せ
いつまでも彷徨う定め
この小説(はなし)の果ての
その先を書き足すよ

真実と向き合うためには
一人にならなきゃいけない時がある
過ちだと分かっていても尚
描き続けたい物語があるよ

あゝ
駄文ばかりの脚本と
三文芝居にいつ迄も
付き合っていたいのさ

あゝ
君の不器用な
表情や言葉一つで
救われる僕がいるから

あの頃の輝きが
息を潜めたとしても
随分老けたねって
明日も隣で笑うから

悲しまないで良いんだよ
そのままの君が良いんだよ
過ぎゆく秒針を隣で数えながら

止めどなく流るる泪雨が
小説のように人生を何章にも
区切ってくれるから

愚かだと分かっていても尚
足掻き続けなきゃいけない物語があるよ

あゝ
立ち尽くした
あの日の頼りない背中を
今なら強く押して見せるから

あゝ
僕のくだらない
表情や言葉一つで
微笑んだ君がいるから

あゝ
駄文ばかりの脚本と
三文芝居にいつ迄も
付き合っていたいのさ

あゝ
君の不器用な
表情や言葉一つで
救われる僕がいるから

あゝ
立ち尽くした
あの日の頼りない背中を
今なら強く押して見せるから

あゝ
僕のくだらない
表情や言葉一つで
微笑んだ君がいるから

この世界の誰もが
君を忘れ去っても
随分老けたねって
今日も隣で笑うから

怯えなくて良いんだよ
そのままの君で良いんだよ
増えた皺の数を隣で数えながら

 

作詞:常田大希

歌詞の意味・解釈

この世界の誰もが
君を忘れ去っても
随分老けたねって
今日も隣で笑うから

怯えなくて良いんだよ
そのままの君で良いんだよ
増えた皺の数を隣で数えながら

歌詞はドラマのストーリーとリンクしている、と言ったことを常田さんがインタビューにておっしゃっていましたが、冒頭の歌詞は特にドラマの世界観が如実に表れています

 

ドラマの主人公は25年間昏睡状態だった少女。体は35歳ですが中身は眠りにつく前の状態で止まったままです。

《この世界の誰もが君を忘れ去っても 随分老けたねって今日も隣で笑うから》

「三文小説」は、複雑な境遇に置かれた少女にそう優しく語り掛けています。

 

しかしドラマの内容がやや非現実的で身近なものではない一方で、このドラマと楽曲は【年齢を重ねることへの不安】という誰もが抱える現実的な問題とも密接にかかわっています。

自分は何も変われていないのに、忙しない日常の中で時間を浪費していくことへの恐怖。

言うなれば、それはドラマと現実世界の共通項ともいえる部分です。

 

「三文小説」はドラマ主題歌としての側面を抱えていながら、全く関係の無いコンテクストに置かれても確かな意味を持つ楽曲となっているのです。

 

ドラマの世界と現実の境界線を巧みに縫い合わせながら、楽曲はさらに広く深く踏み込んでいきます。

 

1番

僕らの人生が
三文小説だとしても
投げ売る気は無いね
何度でも書き直すよ

誰もが愛任せ
いつまでも彷徨う定め
この小説(はなし)の果ての
その先を書き足すよ

楽曲を通して聞いてみると圧倒的なスケール感で、まるで絶望的な状況の中で神が現れたかのような強度を持った楽曲なのですが、実は歌詞自体には超越的な強さがあるわけではありません

 

これはKing Gnuの楽曲全体の特徴なのですが、彼らの楽曲の世界観は全ての楽曲で徹底的に一貫しているように思います。

それは【現実は残酷だけどそれでも強く生きよう】というスタンスです。

 

この事実を基にこの部分の歌詞を見てみると、面白いことに使う言葉やニュアンスの違いはあれど、内容は過去の楽曲とほとんど同じなのです。

 

例えば「Teenager forever」の《いつまでも相変わらず つまらない話を つまらない中に どこまでも幸せを探すよ》とか、「飛行艇」の《無意味な旅を続けようか》、「小さな惑星」の《終わらない歌を歌っているんだ 意味のない日々に何を恐れてるのか》など。

【この人生がつまらない無意味なもの(”三文小説”)だったとしても先へ進み続けよう】という流れは常に一定で、極論を言えば過去の楽曲の歌詞を寄せ集めれば「三文小説」という楽曲の歌詞は生成できます。

 

壮大で力強い楽曲である「三文小説」も、つまるところ過去の楽曲同様に残酷な運命には抗えない人間を描いた楽曲であって、決して神の加護のような強さがある曲ではないのです。

 

真実と向き合うためには
一人にならなきゃいけない時がある
過ちだと分かっていても尚
描き続けたい物語があるよ

ここで《一人にならなきゃいけない時がある》という歌詞が登場しますが、この楽曲は一曲を通して”僕” と ”君” が二人で現実に向き合っていく内容になっているので実際には《二人》なのだと思います。

自分の置かれた状況と向き合うには社会で孤立しなければならない時もある、といった意味合いでしょう。

 

ちょっと今更な説明になってしまいますが、この楽曲は1番と2番で歌詞の内容が区切られており1番は主に「三文小説のような人生でも生きていたい」といった内容が歌われているように感じています。

 

《過ちだと分かっていても尚 描き続けたい物語があるよ》も先ほど例に挙げた歌詞同様に、過去の楽曲から一貫している内容です。

 

サビ1

あゝ
駄文ばかりの脚本と
三文芝居にいつ迄も
付き合っていたいのさ

あゝ
君の不器用な
表情や言葉一つで
救われる僕がいるから

「三文芝居」も「三文小説」と同じような意味合いで、お金を払う価値もないような芝居の事です。

僕らの営みは “駄文ばかりの脚本と三文芝居”。決して明るいものではありません。

根底にあるのは、いつだって息苦しいまでに切実な世界観です。

 

それでも主人公は生きていこうとします。

”君”の表情や言葉に救われる自分がいるから。

”君” とならば、こんなに残酷な世の中の愚かな人生でも上手くやっていけるかもしれない、と感じているのです。

 

2番

あの頃の輝きが
息を潜めたとしても
随分老けたねって
明日も隣で笑うから

悲しまないで良いんだよ
そのままの君が良いんだよ
過ぎゆく秒針を隣で数えながら

1番の歌詞の焦点は「僕は三文小説のような人生でも描き続けたい」といったことにありましたが、2番の歌詞はひたすらに ”君” を励まして鼓舞するような言葉が続いていきます

 

2番冒頭のこの歌詞は楽曲冒頭と同様に、ドラマの内容と密接にリンクしている部分

長い眠りにつく前の輝きが息を潜めたとしても、そのままの君がいいから悲しまないで…と少女に諭すように語り掛けています。

 

そしてこの歌詞もまた、決してドラマに限った話ではありません。

若き日の輝きは息を潜め、刻一刻と時が過ぎて自らが老いていくことへの虚無感は誰もが抱える普遍的な感情でしょう。

そんな時に共に寄り添って、笑い合いながら時間を過ごしてくれる人がいるならば。

きっとそれはこのどうしようもない人生の救済になることでしょう。

 

止めどなく流るる泪雨が
小説のように人生を何章にも
区切ってくれるから

愚かだと分かっていても尚
足掻き続けなきゃいけない物語があるよ

泪がきっと人生という物語に区切りを与えてくれるだろう。

愚かだとわかっていても、この人生は足掻き続けなきゃいけないのだろう。

 

そう言ったことを歌うこの歌詞は、 ”残酷な現実” というものが当たり前のように根底にあります。

繰り返しにはなってしまいますが、King Gnuの楽曲はありもしない希望を歌ったり現実から目を背けたりすることはありません。

 

止めどなく流れる涙と、足掻き続けなきゃいけない物語。

彼らの楽曲に、民衆を問答無用で救うような絶対的な強さはないのです

 

骨助
骨助

ここからの歌詞では、King Gnuが歌う決して絶対的ではない人間の力強さが爆発しています。

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