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【ヨルシカ/又三郎】歌詞の意味を徹底解釈!コロナ禍で憂鬱を感じている私達にぶっ刺さる詩。

【ヨルシカ】「又三郎」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

読みどころ

✔ 宮沢賢治『風の又三郎』をモチーフにした詩
✔ 現代社会の憂鬱を飛ばしてくれるポジティブソング
✔ 他人任せな現代人にぶっ刺さる!?

 

サルー
サルー

「つまらない日常を壊して欲しい」そう願っちゃう人間にぶっ刺さる歌詞でした。「青い胡蝶」など意味深なワードの真意も必見です!

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宮沢賢治『風の又三郎』をモチーフに制作

→Apple Musicでフル視聴する

 

今回紹介していく「又三郎」は、前回リリースされた「春泥棒」以来、約5か月ぶりにリリースされた楽曲。

多くの人が知る宮沢賢治の短編小説『風の又三郎』をモチーフに制作されています。

 

楽曲には“現代社会の閉塞感を風の子に打ち壊して欲しい”という想いが込められているとのこと。

 

サルー
サルー

憂鬱で閉塞ぎみな現代社会を吹き飛ばす勢いで奏でられる疾走感あふれるメロディ。楽曲の中身はどうなっているのでしょうか。まずはタイトル名に着目していきます!

楽曲名「又三郎」とは

前章でも触れましたがタイトル「又三郎」は、宮沢賢治の小説『風の又三郎』に由来しています。

 

『風の又三郎』を見たことがない方のために内容を簡単に紹介すると

  1. 田舎の小学校に、都会の子「高田三郎」が転校してくる。
  2. 小学校の子供たちは「三郎」を「風の又三郎」なのじゃないかと噂する。
  3. 「風の又三郎」は地元で噂になっている伝説の風の神様の子。神というよりは悪霊に近い存在。
  4. 子供たちは三郎に魅かれつつも方言や価値観の違う「三郎」を仲間外れにしてしまう。
  5. 転校してきて約10日後、三郎は転校して学校からいなくなる
  6. 子供たちは「やはり風の又三郎だったんだ」と結論付けて物語は終了

といったところです。

 

すごくざっくり言うと「自分の常識から逸脱する人間を不気味に思う本性(異物を嫌う人間)」が描かれているのです。

 

ただおさらいですが本楽曲は「鬱屈を抱えた毎日や、不透明な未来や、不誠実がまかり通る社会の仕組みや、何もかもを吹きとばしてほしい」という願いのもと作られています。

 

そのため本楽曲では「異物を嫌う人間」という部分ではなく「並々な現状に風を吹かした三郎の存在感」から着想を得ていることが分かります。

 

三郎が転校してきて子供たちの日常に刺激が走ったように、コロナ禍で閉塞ぎみな現代社会に新しい風を吹かせたいのです。風の又三郎だけに。

 

サルー
サルー

それでは楽曲タイトル・風の又三郎に関してのお話しはこの辺りにして、本題の歌詞考察に移っていきます!

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歌詞

水溜りに足を突っ込んで
貴方は大きなあくびをする
酷い嵐を呼んで欲しいんだ
この空も吹き飛ばすほどの

風を待っていたんだ
何もない生活はきっと退屈過ぎるから
風を待っていたんだ
風を待っていたんだ

吹けば青嵐
言葉も飛ばしてしまえ
誰も何も言えぬほど
僕らを呑み込んでゆけ

どっどど どどうど

風を呼ぶって本当なんだね
目を丸くした僕がそう聞いたから
ぶっきらぼうに貴方は言った
「何もかも思いのままだぜ」

風を待っていたんだ
型に合った社会は随分窮屈すぎるから
それじゃもっと酷い雨を
この気分も飛ばす風を

吹けば青嵐
何もかも捨ててしまえ
今に僕らこのままじゃ
誰かも忘れてしまう

青い胡桃も吹き飛ばせ
酸っぱいかりんも吹き飛ばせ
もっと大きく 酷く大きく
この街を壊す風を

吹けよ青嵐
何もかも捨ててしまえ
悲しみも夢も全て飛ばしてゆけ、又三郎
行けば永い道
言葉が貴方の風だ
誰も何も言えぬほど
僕らを呑み込んでゆけ

どっどど どどうど

作詞:n-buna

歌詞の意味・解釈

1番

水溜りに足を突っ込んで
貴方は大きなあくびをする
酷い嵐を呼んで欲しいんだ
この空も吹き飛ばすほどの

既に前章で述べたことの繰り返しになりますが本楽曲には現代社会の閉塞感を風の子に打ち壊して欲しいという願いが込められています。

 

「酷い嵐を呼んで欲しいんだ この空も吹き飛ばすほどの」

といった歌詞だけを切り取ってみると、単純に破壊を望んでいるように受け取れてしまいますが、制作背景を踏まえると「(憂鬱な社会を)破壊して欲しい」という含みがあることが分かります。

 

そして歌詞中の貴方に当てはまるのは、言わずもがな「風の又三郎」。

人々は風の神様の子である彼に希望を託す。

 

風を待っていたんだ
何もない生活はきっと退屈過ぎるから
風を待っていたんだ
風を待っていたんだ

このBメロは「私たちが感じる味気ない日常への鬱憤」を代筆してくれています。

 

失われた日常、制限される趣味、友人と会えない日々etc….

そんな日々を吹き飛ばす風を望んでいる。

 

サビ1

吹けば青嵐
言葉も飛ばしてしまえ
誰も何も言えぬほど
僕らを呑み込んでゆけ

どっどど どどうど

青嵐とは「初夏の青葉を吹き渡る風」であり、イメージとしては凛とした強風といったところです。

<言葉も飛ばしてしまえ>

とありますが、これは「現代の悪状況に対する嘆き」のようなネガティブな言葉ごと飛ばしてしまえといった意味合いを含むのでしょう。

 

ちょっと深く考えると、この楽曲は「憂鬱気味な現代社会を飛ばして欲しい」といった側面を持ちつつも「他人頼りで現状に愚痴ばかりを言っている私たち」を風刺している側面も持ち合わせているのかも知れません。

 

そこまで考えると、小説『風の又三郎』の中で、後ろめたさを感じながら三郎を疎外した村の子供達の心情とも重なります。

 

またサビ後の「どっどど〜」は、小説『風の又三郎』で使われていた「どっどど どどうど どどうど どどう」という風音の表現を再現しています。

 

一見すごくシンプルな歌詞なのですが、元ネタを想起させつつも、現代社会にぶっ刺さる巧みな構成であることがわかりますね。

2番

風を呼ぶって本当なんだね
目を丸くした僕がそう聞いたから
ぶっきらぼうに貴方は言った
「何もかも思いのままだぜ」

「何もかも思いのままだぜ」

ここで初めて又三郎と思われる人物が登場します。

 

嵐を呼ぶ。というのを言葉の通り受け取ってしまうと御伽話感がかなり強まりますが、「何かも思いのまま」と本気で信じているポジティブ人間の存在に対して、嵐が来たようだと解釈する一般人を思い浮かべると現実世界の情景にも落とし込めるのかなと思います。

 

とにかく現状を変えたい僕は、憂鬱な現状をもろともしない貴方を見て心がざわついているのです。

 

風を待っていたんだ
型に合った社会は随分窮屈すぎるから
それじゃもっと酷い雨を
この気分も飛ばす風を

貴方に感化された僕はさらに現状を変える風を求める。

 

現状を変えれない自分を、そんなありきたりな型に嵌められて個性のない自分を吹き飛ばす風を求めている。

 

サビ2

吹けば青嵐
何もかも捨ててしまえ
今に僕らこのままじゃ
誰かも忘れてしまう

サビ1と類似した内容ですが「今に僕らこのままじゃ誰かも忘れてしまう」という歌詞が異彩を放っています。

 

これは2番のBメロで解釈した「型にはまって個性をなくして、、、」という部分に繋がっているのかなと考えています。

 

もちろん「何もかも捨ててしまえ」という言葉は又三郎に掛かっているのですが、感化された僕が「自分で青嵐を吹き起こそうとするさま」も含みとしてあるのかなと。

 

又三郎のように自分が誰か忘れてしまわないような強靭な意志を持とうとしているのです。

 

サルー
サルー

続く物語のクライマックスを一緒に見ていきましょう!

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コメント

  1. たーめん より:

    くるみは胡桃と漢字で書きますが、
    こちょうとは読めません。
    桃は「もも」、「とう」と読みます。
    「ちょう」とは読みません。

    なので、「胡蝶の夢」は今回の歌詞には、全くもって何の関係もないと思います。

    • サルーサルー より:

      たーめんさんコメントありがとうございます。
      そして仰る通りです。
      恥ずかしながら胡桃と胡蝶を見間違えて解釈に移ってしまったようです。

      ご指摘ありがとうございます!

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