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【ずっと真夜中でいいのに。/残機】歌詞の意味を徹底解釈!”潤う過程”を歌ったチェンソーマンED曲。

【ずっと真夜中でいいのに。】「残機」について、歌詞の意味を徹底的に考察および解説していきたいと思います。

 

注目ポイント

✓ ”潤う過程” を歌った曲

✓ デンジの仲間との新生活

 

骨助
骨助

人気爆発中のアニメ「チェンソーマン」2話ED曲。ACAねさんのコメントに注目しながら歌詞の意味を読み解いていきます。

 

 

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アニメ「チェンソーマン」ED曲

今回紹介していく「残機」はアニメ「チェンソーマン」2話のエンディングテーマとして書き下ろされた楽曲です。

2022年10月19日に同アニメの2話が放送され、同時に楽曲の配信リリースもスタートしました。

YouTubeではMVも公開され、大きな反響を呼んでいます。

「ばかじゃないのに」「ミラーチューン」のMVも手掛けたTV♡CHANYさんによる驚異の個人制作アニメーションです。

Chainsaw Man – Main Trailer /『チェンソーマン』本予告

「チェンソーマン」は『週刊少年ジャンプ』及び『少年ジャンプ+』にて連載中の、藤本タツキ原作の漫画作品。チェンソーの悪魔へと変身する力を手に入れた主人公・デンジの、デビルハンターとしての闘いが描かれたダークヒーロー的な物語となっています。

 

ACAねさんは楽曲について

感情の節目節目で助けられてきた作品でしたので、うれしくてずっと完成させたくない気持ちで生活力が湧き上がり、帰って植物に水をやり、猫の肉球に水を染み込せることにより、自分としては潤う過程が大事なんじゃないかというような曲を作りました。ただぶっ飛んでるようにみえても本意はどうかわからない 本当にそうかもしれない けど、撫でてもらいたい。というような曲を作りました。譲れない憎めない精神にパワーをもらいました。ご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

とコメントされていました。

また自身のTwitterでは、

2話コンテいただき、ここからはじまる3人の勇往邁進な舐め鎖り新生活、自分の生活と交えながら吐きながら魂込めました 楽しかったあ みんなで攻撃しあうことで支えあってます

とツイートされています。

 

週替わりでエンディング曲が変わるという豪華すぎるアニメ「チェンソーマン」の、デンジの新たな日常の始まりを描いた2話ED曲。

難解な歌詞が一体何について歌っているのか、この記事ではじっくり考察していきます。

 

骨助
骨助

さっそく本題の歌詞を見ていきましょう。

歌詞

しょっぱいぜ 初めて嗅いで舐めた出会い
自暴自棄です 平均的な正論が貧乏
いらっしゃいませ ニンニク増しで目指した健康体
腹歌満たしてる
優等生 無知なフリして踊っちゃって
欠点です 現状把握しちゃうから中断中
もう譲渡 見せびらかし合いましょ劣等感妄
変えられゃしないってわかってるからぁ?

直感で自己中な理解不能プレイヤ
求められたなら惨事会
くだらん口喧嘩でマシになんだ
モットーもっと?もう意外と辛いのに

うざいくらい 叫んだって喰らったって
譲れない日々よ 栄養になってまた 汚しあえ
残機わかんなくて 上がんなくて
脊髄反射の涙腺は 濁った声で歌えば感謝です

試したいわ あたたかくて
絶体絶命な 夜は気持ちい
平凡な生活 ゆめみたけど
先手必勝が 気持ちいいな

帰ってすぐに水やり 人間の営み
実のところ恵まれても 虚無感が友だち
眠気覚まし耳打ち 飲み干すまで合図血
仲良しこよしの時間

直感で自己中な理解不能プレイヤー
求められたなら三次会
細かいご指摘も有り難き
結局 瞳孔開いてしまうのに

うざいくらい 叫んだって喰らったって
譲れない日々よ 栄養になってまた 汚しあえ?
残機わかんなくて 上がんなくて
脊髄反射の涙腺は 濁った声で歌えば感謝です

試したいわ あたたかくて
絶体絶命な 夜は気持ちい
平凡な生活 ゆめみたけど
先手必勝が 気持ちいいな

ただ穏やかでいたい
誰にも迷惑かけたくはないと思うが
戦わないと 撫でてもらえない
単純明快でした

うざいくらい 叫んだって喰らったって
譲れない日々よ 栄養になってまた 汚しあえ
残機わかんなくて 上がんなくて
脊髄反射の涙腺は 濁った声で歌えば感謝です

言いたいことジャンケン ご愛顧じゃ
まずは実感湧くまで 拵え
すぐ吐けなくて 呆気なくて
脊髄反射の涙腺は 萎んだ脳で歌えて感謝です

だりいし痒いし薄っぺらい
くだらないことで笑いたかった
賄いじゃ満たされない不安感
暴れるのは疲れる でも侮れない
傷にはセッションで絶頂で健康で
きもちいな

 

作詞:ACAね

歌詞の意味・解釈

1番

しょっぱいぜ 初めて嗅いで舐めた出会い
自暴自棄です 平均的な正論が貧乏
いらっしゃいませ ニンニク増しで目指した健康体
腹歌満たしてる

この記事の楽曲の紹介の部分でも触れましたが、ACAねさんはこの曲について「うれしくてずっと完成させたくない気持ちで生活力が湧き上がり、帰って植物に水をやり、猫の肉球に水を染み込せることにより、自分としては潤う過程が大事なんじゃないかというような曲を作りました。」とコメントされていました。

 

《しょっぱいぜ 初めて嗅いで舐めた出会い》

「チェンソーマン」において、それまでひとりぼっちの極貧生活を送ってきた主人公・デンジはいわゆる普通の日常を送ったことがありませんでした。

アニメ「チェンソーマン」2話では、そんな彼がはじめて他人と生活を共にする中で、夢だったまともなご飯を食べたり、湯船につかったり、仲間と口論したりと、様々な出来事に遭遇します。

この曲は ”日常生活”という他の人間との関わりの中で、彼の心身が潤っていく「過程」を歌ったものだと解釈することができるのではないでしょうか。

 

ずとまよワールド全開の心地よくて難解な歌詞。

しかしつまるところ、この曲で重点的に描かれているのは自分以外の他人との人間関係だと思われます。

 

優等生 無知なフリして踊っちゃって
欠点です 現状把握しちゃうから中断中
もう譲渡 見せびらかし合いましょ劣等感妄
変えられゃしないってわかってるからぁ?

チェンソーマンのあらすじにも簡単に触れておきますが、主人公のデンジはアニメ2話で先輩にあたるアキと事あるごとに口論になります。

「俺の家族は全員目の前で悪魔に殺された。悪魔に同情するな」と話すアキに対し「友達になれる悪魔がいたらなりてぇよ、俺友達いねえもん」と返すデンジ。

まさしく劣等感の見せびらかし合いです。

そしてバディを組まされた魔人の女性・パワーには振り回されっぱなし。

 

それまで他の人間にまともに人間扱いされたことのなかったデンジや、他人とのやり取りが得意ではない人にとって、他人と関わり合って生活することはそれなりにストレスです。

劣等感をぶつけあって、くだらない口喧嘩をして惨事会。

《変えられゃしないってわかってるからぁ?》

自分の変えられない過去や性格を呪いながら、不快感を募らせていきます。

 

直感で自己中な理解不能プレイヤ
求められたなら惨事会
くだらん口喧嘩でマシになんだ
モットーもっと?もう意外と辛いのに

《直感で自己中な理解不能プレイヤ》

気持ちを理解できない他人の事を、ここではゲームのような言い方でそう表現しています。

ACAねさんらしい魅力的な表現です。

 

「ただぶっ飛んでるようにみえても本意はどうかわからない 本当にそうかもしれない」とACAねさんが語っていたように、作中でデンジは割とぶっ飛んだキャラクターなので口喧嘩でいちいち傷ついたりする描写はありません。

ただ「本意はどうかわからない」わけで、この楽曲では《モットーもっと?もう意外と辛いのに》というように人間らしいキャラクターとして描かれているように思います。

 

サビ1

うざいくらい 叫んだって喰らったって
譲れない日々よ 栄養になってまた 汚しあえ
残機わかんなくて 上がんなくて
脊髄反射の涙腺は 濁った声で歌えば感謝です

ここまでの歌詞では他人との生活について、主人公が抱いている不快感が露わになっていました。

しかしながら、なんだかんだ言ってそんなクソみたいな生活がいつの間にか心地よい日常になっていたりするもの。

ACAねさんも「みんなで攻撃しあうことで支えあってます」とツイートされていましたが、そんな他人とのくだらないやり取りも含めて日常生活は成り立っています。

 

《うざいくらい 叫んだって喰らったって 譲れない日々よ 栄養になってまた 汚しあえ》

サビの歌詞では誰かと関わり合って傷つけあいながら生きる日々を、《譲れない日々》《栄養》といった言葉でポジティブに表現しています。

うざいくらい叫んだって、結局そんな日常に支えられているから。

 

試したいわ あたたかくて
絶体絶命な 夜は気持ちい
平凡な生活 ゆめみたけど
先手必勝が 気持ちいいな

《平凡な生活 ゆめみたけど 先手必勝が 気持ちいいな》

サビ後半の歌詞も、抽象的で難しい表現ですがなんだかんだこんな騒がしい生活を嫌っていない感じが伝わってきます。

 

《絶体絶命な 夜は気持ちい》

もっともデンジの境遇は私たちの日常とは段違いに壮絶で、上司であるマキマにはあくまで ”飼われている” 状態なので彼女に逆らえば殺されてしまいます。

それでも「気持ちいいな」くらいに思ってそうなデンジのちょっとした狂気を感じる歌詞にもなっています。

 

骨助
骨助

2番もデンジの境遇に重ねながら、ACAねさんらしい内省的で心地いい歌詞が続いていきます。

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コメント

  1. 匿名 より:

    こんにちは。本日は2024年2月8日です。数カ月前に、ずとまよを知ったにわかです。

    複数の曲の歌詞に使われている「健康」というワードが気になっています。個々の曲の中の意味とは別にACAねさんの「健康」に込められた思いというものがあるように感じるのですが、どのように受け止めておられますかお聞きしたいです。

    • 骨助骨助 より:

      他のアーティストの歌詞でいう「幸せ」とかに値する言葉が、ACAねさんにとっての「健康」なんじゃないかと個人的に思っています。
      「健康」は病気ではない、マイナスではない、というだけで、本来はあくまで現状維持、プラスではないのですが、病まずに普通に暮らせているとも言えます。
      些細な日常の中の煌めきに気づけるような人生がいい、といったことをACAねさんは最近のライブでもおっしゃっていました。
      直接幸福を願うのではなく、「せめて健康でいたい」「健康でいられますように」と些細な日常を願うのがACAねさんらしい、控えめで謙虚な表現だなと思います。

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