2番
帰ってすぐに水やり 人間の営み
実のところ恵まれても 虚無感が友だち
眠気覚まし耳打ち 飲み干すまで合図血
仲良しこよしの時間
《帰ってすぐに水やり 人間の営み》
2番冒頭は日常の描写。
恵まれた生活を手に入れたけれど、結局何かが足りないような気がする。
そんなことを思って虚無感を感じているうちに、まためんどくさい他人との《仲良しこよしの時間》が始まります。
直感で自己中な理解不能プレイヤー
求められたなら三次会
細かいご指摘も有り難き
結局 瞳孔開いてしまうのに
今度は他人との《仲良しこよしの時間》の描写。
人間の瞳孔は暗闇だけでなく、怒った時や興奮した時にも開くと言われています。
《直感で自己中な理解不能プレイヤー 求められたなら三次会》
他人と生活を共にしていると、細かいご指摘で傷ついたりイラっとしたりしてしまうのに。
それでも求められたら三次会に行くくらいには、そんな生活に心地よさを感じているのではないでしょうか。
私たちも時に厄介事に巻き込まれるのに、それでも誰かと関わり合って生活している、という意味ではデンジと同じなのかもしれません。
2番のサビの解説は1番と同じ歌詞なので割愛させていただきます。
2番サビの後の歪んだギターサウンドは恐らくACAねさんの扇風機ギターソロ。
何を言っているのか分からない方は是非ずとまよのライブ映像をご確認ください。
3番
ただ穏やかでいたい
誰にも迷惑かけたくはないと思うが
戦わないと 撫でてもらえない
単純明快でした
この部分の歌詞は2話におけるデンジの心境をそのまま描写した歌詞だと思われます。
他の登場人物が「復讐」「家族を守るため」といった目的を持って敵と戦っている中、自分にはそういったゴールがないことに気付き思い悩むデンジ。
そして彼が少し悩んだ末に見出したゴールは「女(特にマキマ)の胸を揉むこと」という単純明快なものでした。
流石にずとまよの曲でそんなダイレクトな表現は出てこないのでここでは《戦わないと(マキマに)撫でてもらえない》と近い内容に言い換えられています。
ラストサビ
うざいくらい 叫んだって喰らったって
譲れない日々よ 栄養になってまた 汚しあえ
残機わかんなくて 上がんなくて
脊髄反射の涙腺は 濁った声で歌えば感謝です言いたいことジャンケン ご愛顧じゃ
まずは実感湧くまで 拵え
すぐ吐けなくて 呆気なくて
脊髄反射の涙腺は 萎んだ脳で歌えて感謝です
《うざいくらい 叫んだって 喰らったって 譲れない日々よ 栄養になってまた 汚しあえ》
口では「うざい」「クソみたいだ」って思っている日常が、栄養になって心地よくなって、案外譲れないものになっていたりするもの。
ACAねさんの語るように、結局みんな攻撃し合って支え合って生きています。
互いに傷つけあって自分の残機も分からないような面倒くさい生活だけど、嫌いじゃない。
《脊髄反射の涙腺は 濁った声で歌えば感謝です》
面とむかってありがとうなんて言いたくないしうざったいけれど、感謝していないわけではない。
まあ、濁った声で歌えば感謝です。
サビで繰り返されるこの歌詞はそういった意味合いなのではないでしょうか。
《言いたいことジャンケン ご愛顧じゃ》
ここでの《ご愛顧》はそのままの「目をかける、ひいきにする」という意味とジャンケンの「あいこ」のダブルミーニングになっています。
だりいし痒いし薄っぺらい
くだらないことで笑いたかった
賄いじゃ満たされない不安感
暴れるのは疲れる でも侮れない
傷にはセッションで絶頂で健康で
きもちいな
最後の気だるげで聴き心地最高のラップも、なんだかんだ日常に気持ち良さを感じているような印象を受けます。
《くだらないことで笑いたかった》
飯だけで心は満たされなくて、結局人間関係を求めてしまって。
闘って暴れまわって傷ついて、その傷は仲間とのセッションで潤って絶頂で健康できもちい。
チェンソーマンのストーリーと重ねつつ、めんどくさくもあり、かけがえのない他人とのやり取りの日常を歌った楽曲。
【ずっと真夜中でいいのに。/残機】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
こんにちは。本日は2024年2月8日です。数カ月前に、ずとまよを知ったにわかです。
複数の曲の歌詞に使われている「健康」というワードが気になっています。個々の曲の中の意味とは別にACAねさんの「健康」に込められた思いというものがあるように感じるのですが、どのように受け止めておられますかお聞きしたいです。
他のアーティストの歌詞でいう「幸せ」とかに値する言葉が、ACAねさんにとっての「健康」なんじゃないかと個人的に思っています。
「健康」は病気ではない、マイナスではない、というだけで、本来はあくまで現状維持、プラスではないのですが、病まずに普通に暮らせているとも言えます。
些細な日常の中の煌めきに気づけるような人生がいい、といったことをACAねさんは最近のライブでもおっしゃっていました。
直接幸福を願うのではなく、「せめて健康でいたい」「健康でいられますように」と些細な日常を願うのがACAねさんらしい、控えめで謙虚な表現だなと思います。