2番
夜景、ダイヤの光、笑みで住宅街を見下し
素晴らしきその暮らし
さぁ幸せはお幾らばかり?この妬みは疎ましいばかり
2番ではキラキラしている人々に対する妬みが皮肉的な表現で綴られていきます。
冒頭で「全てが妬ましい」と言っていたように、主人公は圧倒的な劣等感を抱えながら幸せを求め続けています。
だから「その幸せはいくらで買えるの?」と自分が手に入れることの出来ていない幸せに対して、あたかも金で解決するような物言いをしています。
心理学でいう防衛機制みたいなものですね。受け入れがたい状況に対して、周囲を責めることで自分を正当化させようとしているのです。
そしてその惨めさも痛感しているから「この妬みは疎ましい(遠ざけたい)ばかり」と呟かれていく、、、
またこの辺りの歌詞から、改めて主人公が幸せという名の愛を渇望していることが伺えて来ます(この渇望はラストサビで爆発します)
サビ2
つまらないものだけが観たいのさ
他人の全部を馬鹿にして
忘れたいのに胸が痛い
ただ何も無いから僕は欲しい
サビ2で綴られるのはサビ1にも通じるような、盗作をする主人公の欲望。
しかしここではっきりと「胸が痛い」と綴られています。
そして胸が痛いの前に綴られる、既定の逆接条件を表す「のに」は、忘れたいという本来抱えていたはずの欲望にかかっています。
つまり全てを忘れて綺麗な夜(死)を迎えたい!と言っていた主人公の欲望はフェイク。心理的にはあるのかも知れませんが、本心は愛を渇望していたのです。
だからつまらないもの(綺麗な夜)が観たいだけなのに、他人の幸せを見ては胸が痛くなってしまう。
何も無い主人公は「綺麗な夜が観たい」と願うことしか出来なかっただけなのかも知れません。
ラストサビ
つまらないものだけが観たいのさ
君の全部が僕は欲しい
ただ何も無いから僕は欲しい
この渇きを言い訳にさぁ
愛を渇望する主人公は最後の最後で「夜の全部が僕は欲しい」ではなく「君の全部が僕は欲しい」と叫ぶ。叫んでしまう。
結局、綺麗な夜よりも幸せの形が欲しかっただけに過ぎないのですよね。
歌詞だけを眺めて入ればどっちつかずの欲望に感じるかも知れませんが、これも含めてすごく人間味に溢れる情景が「昼鳶」には描かれていたのです。
これまで【つまらないもの=綺麗な夜】だったのですが、
ラストサビでは【つまらないもの(と思っていた)=ありふれた幸せ】として置き換えると、主人公の心理の変化にもついて行けるのではないでしょうか。
音楽泥棒の赤裸々な自白が「昼鳶」では明かされていたのです。
感想
曲単位でも深みがあって面白いのですが、同アルバム内の他楽曲とリンクさせていくことでさらに楽曲に入り込めるなと。
特に昼鳶は表題曲「盗作」との関連性が高い。
時間がある方は盗作の考察記事も是非読んでみてください。おすすめ記事です。
【ヨルシカ/昼鳶】
歌詞の意味の解釈でした!
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コメント
「昼鳶」の読み方は「ひるとび」ですよ。
作曲者がそう読んでます。
本楽曲においての読み方は「ひるとび」でしたか。確認したところナブナさんもそう呼んでいましたね。ご指摘ありがとうございます。
過去の歌詞考察の投稿について掘り返してしまうコメントになってしまいます。ごめんなさい。
過去の歌詞考察のところでボーカルのスイさんのことをsuiさんと表記していらしたのですが、正しくはsuisさんです!(盗作のアルバムにボーカルsuisと表記してありました)
いつも歌詞考察、ありがとうございます。サルーさんの考察大好きで私の考えとよく似ているのでついつい読んで共感しては楽しんでいます!
これはまた丁寧にありがとうございます。sが抜けちゃっていましたね修正させて頂きました。
それと考えが似ているとのこと、共感できる方がいらっしゃって嬉しく思います。ぜひまた読みに来てくださいね(^^)
早速訂正ありがとうございます!
学校も冬休みに入ったのでたくさんサルーさんの考察読み漁って新しい出会いを見つけられたらと思います。
昼鳶のイントロのスラップはギターのスラップですよ。
2年前の記事なのに今更すみません
修正致しました。
ご指摘ありがとうございます。