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【ヨルシカ/春泥棒】歌詞の意味を徹底解釈!桜を命に見立てた、物語『盗作』最終章。

3番

今日も会いに行く
木陰に座る
溜息を吐く
花ももう終わる
明日も会いに行く
春がもう終わる
名残るように時間が散っていく

《今日も会いに行く》

《花ももう終わる》

《明日も会いに行く》

《春がもう終わる》

無情にも、思い出の中でさらに時間は流れていきます。

一分一秒を惜しむように、彼は散っていく命の元へと向かいます。

 

この楽曲での春は、桜シーズンの終わり・君の命の終わりであると同時に、主人公の人生における春、すなわち青春の終わりを意味しているようも思えてきます。

最愛の人を無くしてしまえば、主人公にとっての青春はそこまで。

例えそうでなくとも、青春は若き日の輝いていたワンシーンでしかありません。

 

時間が命から春を奪っていく。

その様はまさに「春泥棒」です。

 

愛を歌えば言葉足らず
踏む韻さえ億劫
花開いた今を言葉如きが語れるものか

二人の命が満開に咲き誇り煌めいている今、眼前に広がる景色を言葉如きが語れるものか

韻を踏むなんて億劫。ただただこの美しい世界を眺めていたい。

本当に綺麗なものは形容する言葉などないのだからただ眺めるほかない、という究極の美しさの表現がここで用いられています。

主人公にとって、散り行く君の命はそれほど美しいものなのです。

 

ここまで当然のように【桜=妻の命】であると解釈し、【桜=主人公の命】である可能性に触れてきませんでしたが、それにも理由があります。

ヨルシカにとって、ひいてはn-bunaさんにとって、思い出は絶対的な存在です。

「ただ君に晴れ」でも「花に亡霊」でも「藍二乗」でも、ヨルシカの楽曲のほとんどで描かれているのは思い出の中の美しい時間。

インタビューなどでもたびたび「思い出は他の何より美しい」といったことを語っているn-bunaさんが、現在の自分の命を桜に例えて美しく描くはずがないのです。

よってここでの桜は「思い出の中の美しい妻の命」だと考えられます。

 

ラストサビ

はらり、僕らもう声も忘れて
瞬きさえ億劫
花見は僕らだけ
散るなまだ、春吹雪

あともう少しだけ
もう数えられるだけ
あと花二つだけ
もう花一つだけ

花見をする客は僕らだけ

いよいよ春の終わりが目の前に迫ってきています。

思い出の中で君が死んでしまう時間も、もうすぐそこに。

 

《散るなまだ、春吹雪》

そう願う主人公。

しかしこれは思い出の中の情景。どれだけ願ったって命が散ってしまうことは、主人公が一番よく分かっているはずです。

 

あともう少しだけ
もう数えられるだけ
あと花二つだけ
もう花一つだけ

 

美しく宙を舞いながら、妻の命は刻一刻と風に散らされていきます。

 

ただ葉が残るだけ、はらり
今、春仕舞い

桜の花は全て散り、あとはただ葉が残るだけ。

春が終わり、夏が訪れます。

 

君の命の終わりを見届け、主人公の思い出の中の景色は幕を閉じていくのです。

感想

儚い命と思い出を、日本人誰もが本能的に知っている春の景色に例えた楽曲「春泥棒」

桜を命に例える表現は月並みの物なのかもしれませんが、月並みになるのも致し方ないぐらい普遍的に美しいテーマであるように感じました。

桜舞う情景を描いたn-bunaさんの純日本文学的な歌詞も圧巻です。

 

自然と思い出の美しさを描いた、ヨルシカの世界観を代表する一曲。

 

【ヨルシカ/春泥棒】

歌詞の意味の解釈でした!

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