【My Hair is Bad(マイヘア)】の
「惜春(読み方:せきしゅん)」について
MVと歌詞の意味を徹底的に
考察および解説していきたいと思います。
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楽曲名「惜春」とは
「惜春」とは
春が過ぎるのを惜しむこと。
過ぎ行く青春を惜しむこと。
という意味になっています。
この楽曲名が歌詞の内容と
どう関与しているのでしょうか。
MVの意味・解釈
ついに「惜春」のMVが公開!
もともと本MVは「ファンタスティックホームランツアー」の特設サイトにて限定公開となっておりましたが、マイヘアから感謝を込めてということで、ツアー終了とともに一般公開されました。
ライブでこそ真価を発揮するマイヘア。
その一部を体験することができます。
では、本題の歌詞に迫っていきます。
歌詞
味のないフライを砕いたまま
薄い茶を交わしていた
夏日報道に金魚は浮いていた
周りはセックスや
ドラッグたちとよく遊んでいた
大人になったような気がしていた僕らは笑ったって 写真に残したって
いつかはどこかへ忘れてしまうんだ虫の様に坂に溜まっていた
肺に愛を濾していた
週末になるとみんな踊っていた
彼女は既読と約束を一々欲しがった
駅でするキスの味を覚えていた僕らはいつだって
自らを愛していて
本当はほとんどもう
どうでもよかったんだ僕はついにもうやめてしまったんだ
本当にもう面倒くさくなった
YouTubeかなんか流したまんま
目を瞑っていた
そしてそのまま眠ってしまっていた白い布を羽織っていた
不思議な感じだった
周りに続いて沖へ歩いていた
急に爆音で木琴が鳴って呼吸を失った
ソファで目覚めた
ふとみると君からの着信だった僕らはいつだって
勘違いばっかで
幸せはいつだって
そのおかげだったんだ追い風を追い抜いてゆくように
思い通り遠い方に行こう
あの雲切り裂く大胆なイメージで
思い出しても辛くないように
荷物で重たくないように
僕らはいつも わざと置いていて
忘れてしまうんだだから忘れる為に先を急ぐんだ
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歌詞の意味・解釈
前提として
なんと本楽曲の解釈を
椎木さん自身が公開致しました。
遅ればせながらツアーありがとうございました 年始に書いた惜春の翻訳 今読むとこの頃を幼稚に感じるし わかっていなかったとすら思う 解釈は みんな違って みんな良い 今はこんな曲には聴こえないけど それも良い これからもこれからに向かっていく!
My Hair is Bad / 惜春https://t.co/hPoNzbUo6K pic.twitter.com/lNEbDjzOqr
— しいきともみ (@siiki_mhib) 2019年4月25日
本人の解釈とは、なんとも贅沢ですね。
毎度恒例の難解な歌詞ですが、
紐解いてみると本当に奥が深い。
今回はこの解釈に沿って
解説していきたいと思います。
(下記のcheckボックスは
椎木さんの翻訳を引用しています。)
1番
味のないフライを砕いたまま
薄い茶を交わしていた
夏日報道に金魚は浮いていた
周りはセックスや
ドラッグたちとよく遊んでいた
大人になったような気がしていた
定食屋 鯵フライを崩している
店内の角のテレビにニュースが流れて
自分だけが少し置いていかれている
ような気持ちになる
外に出ると友達から
今晩の誘いの連絡が入っていて
野球でも 駄菓子でもない
チャラい遊びの誘いに
いつの間にか大人になったんだな
と昔と変わらない空を眺めている
周りのテンションについて行けず、
どこか素朴感を感じる。
そんな誰しもが抱えたことのある感情を、
朝のだるさとテレビ番組で対比している。
ふいに、遊び方の変化を感じ
歳を重ねていることを痛感する。
どこか寂しさが伝わります。
僕らは笑ったって 写真に残したって
いつかはどこかへ忘れてしまうんだ
すぐに遠くに行ってしまう
多感な時期に夢中になったことも
一生懸命に取り組んだことも
時間が過ぎれば忘れてしまう。
これこそまさに「惜春」
儚く過ぎ去る青春を憂いている。
虫の様に坂に溜まっていた
肺に愛を濾していた
週末になるとみんな踊っていた
彼女は既読と約束を一々欲しがった
駅でするキスの味を覚えていた
若者が坂道にたむろしている
IQOSで愛を濾す
みんな我を忘れて踊っているけど
それをみて冷静になってしまう
不満気なあの子を機嫌を取るため
駅でキスをする
そんな二人を誰も気にしていないから
僕も気にならない
ミュージッククラブ
のようなところで騒ぐ若者。
本来はそれに混ざるはずだが、
客観視することで、引いてしまう。
冷静になれば恥ずかしい行為も
自分たちの世界に入り込んでいるから
周りなんて気にならない。
若者は、かなり共感できるのではないでしょうか。
また
IQOSで愛を濾す
と、解釈でも韻を踏む椎木さんはさすが。
サビ1
僕らはいつだって
自らを愛していて
本当はほとんどもう
どうでもよかったんだ
確信付くようなサビですね。
1番で流れたような、ありきたりかつ複雑な情景が入り乱れた感情の中心にあるのは
「自己愛」
なのです。
2番に続きます。
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